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それにしても。
本当だろうか。勘違いじゃなかろうか。警察官は公務員だし、大卒じゃなければなれないんじゃなかろうか。走入は勘違いで笑い者になるのだけはごめんだった。念のため、交番の中で暇そうにしていた巡査に尋ねてみたのだった。
「警察官になりたいんです。中卒の僕でも警察官になれますか」
「ああ、もちろんなれるとも」
巡査は深々と頷いた。
「基礎体力と高卒程度の学力があって一般教養がきちんと備わった十七歳以上の日本人男性あるいは日本人女性であれば、中卒でも警察官になれるんだよ。でも、中卒が本気で警察官を目指すのは、かなりハードル高いよ。警察官の仕事はとにかく書類の作成が多いんだ。毎日作文を書いて過ごすようなものだ。だからまずは国語力が必要だ。最低限、義務教育で習う程度の漢字の読み書きは完璧にこなせないとな。これは一夜漬けではなかなか難しい」
なぜだかわからないが、この交番巡査にならば、自らの境遇をすべて話せるようなそんな気がしてならなかった。
「パシリをやらされて、それで成績も落ちて受験に失敗して、家が貧乏だから、私立の滑り止めに進学できなくて……」
巡査は走入の言葉にじっと耳を傾けたあとで、走入を真っ直ぐ見据えた。
「君は今、いくつだね?」
「十六歳です。もしも高校に行ってれば高二です」
「君をいじめた連中のことを、見返してやりたいのかね」
「そうです。僕のこの悔しさを生かせる仕事は、警察官しかないような気がするんです」
「今夜一晩、ゆっくり考えてみなさい。その上でもしも警察官になりたいと本気で思うなら、明日またここへ来なさい。採用試験の参考書をあげよう。トラックに荷物を積むのも立派な仕事だが、君にはそれよりも警察官のほうが向いている。私も学校ではろくな成績じゃなかったから大したことは教えてやれんが、作文の書き方や面接の心構えぐらいなら教えてやれると思うよ」
巡査の名前は橋本といった。走入は翌日になって再び交番に顔を出し、橋本巡査から参考書をもらった。
「時間があるときは交番に来なさい。警察学校の面白い話を教えてやろう」
それから一年間を費やして走入は橋本巡査の指導の元に猛勉強を重ね、見事に警察官採用試験に合格を果たしたのだった。
警察学校のすべての教程を終えて、走入益世は新人警察官として一年間の交番勤務を経て機動隊に配属された。それからどのような経緯で人事の目に止まったのか、それを走入益世本人は知る由もないのだが、いずれにせよ二十五歳で警備部公安課に抜擢された。県警本部警備部公安課、すなわち公安警察官である。走入益世は公安警察官として市民運動や左翼政党、それにカルト宗教団体の監視に取り組みながら、気づいてみればいつしか二十年の歳月が過ぎ去っていたのであった。
走入益世は四十五歳となっていた。階級は警部補。髪には白いものがかなり目立っている。独身。かつて三十代に成り立ての頃、上司の勧めで女性警察官と見合いをして結婚生活を送ったこともあったが、それは三年ほどで呆気なく破綻した。子供はいない。以来、走入は独身を貫いている。走入にとっての大恩人である橋本巡査は十年前に定年退職して、昨年の十月末に胃癌で死んだ。
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