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青井のほかの班員たちもひとりふたりと出て行った。班員たちは走入の部下ではあるが、皆それぞれが独自の案件を抱えている。行き先をその都度班長の走入に告げることはない。最後に副班長の蜂谷が口笛を吹きながら出て行き、ついには走入益世ひとりだけが居残る形となった。 壁に掛けられた時計の長針が三周ほどした辺りになって、青井恵梨香はオフィスに戻ってきた。 「堂園晃に不審な点なし。品行方正、非の打ち所のない好人物」という青井の報告に一通り耳を傾けた。詳細に記された報告書にざっと目を通してから、走入はおもむろに携帯電話を手に取った。それから走入は左手を軽く振って、青井にオフィスから出て行くよう合図した。青井は無言で頷き、席を立った。 電話の発信先は警察庁警備局警備企画課理事官の佐藤警視正。新たな監視対象を提案するのだ。 「私だ」 警察庁警備局警備企画課理事官――コードネーム〈ゼロ〉と呼ばれる佐藤の感情の欠落した声が走入の耳に突き刺さる。 「A県警警備部走入(はしり)警部補です」 「君か。どうした」 「監視対象の提案があります。新顔です」 「言ってみたまえ」 「堂園晃。四十五歳。W大経済学部卒。会社役員。堂園はA県知事殿田三郎の辞任を求めるデモの真の首謀者です」 「デモの首謀者は鈴木某とかいう団体職員ではなかったのかね」 「鈴木は操り人形です。真の首謀者は堂園晃です。堂園は危険です」 「ドーゾノを危険と判断する根拠は」 「堂園は要人暗殺に異常な興味を示しています。ナチの優生思想にも傾倒しているようです。アドルフ・ヒトラーの我が闘争の熱心な愛読者でもあります。自宅の本棚には原子爆弾の製造法を詳しく解説した書籍やC4プラスチック爆弾や火炎瓶の作り方を解説した書籍を並べてあります」 でたらめだ。青井恵梨香の報告書に、そのようなことはなにも記されていない。 「君の裁量にまかせる」 裁量にまかせる――盗聴盗撮その他あらゆる種類の超法規的手段による監視の許可が降りたことを意味する。走入は目を閉じた。堂園にパシリ扱いされてイジメられる側からイジメ抜いてやる側へと三十年越しに立場が逆転した達成感と幸福感に、走入はただひたすら酔いしれていた。 電話を終えて、身支度を整えた。オフィスの外に出てみると、青井恵梨香が壁に寄り掛かって天井を仰ぎ見ていた。 「出掛けてくる。君は自分の作業に取り掛かるといい」 青井恵梨香の返事も待たず、走入はわくわくとしながら雑居ビルの外に出た。古い型のホンダのセダンに乗り込む。パトカーではない。自家用だ。公安警察はパトカーを使わない。 郊外のレンタル倉庫へ行く。この倉庫は走入が個人的に契約して使っている。この倉庫の存在は誰も知らない。部下である班員たちにも知らせていない。中には合法非合法を問わず、監視作業に活用出来そうなあらゆる小道具が揃っている。走入はその膨大なコレクションの中から、ナチのヒトラーの著書である我が闘争の上下巻、原爆製造入門、原子爆弾の原理と応用、キミにも作れるプラスチック爆弾と火炎瓶、マルクス入門、レーニンのすべて、中国共産党と赤い旗、北朝鮮万歳・地上最後の楽園、要人暗殺完全マニュアル、などといった、政府関係者や警察関係者が見たら卒倒しそうな書籍をピックアップして両手に抱え込む。さらに、法に触れるような種類のポルノ本を何冊かそれらに積み重ね、すべてひとまとめにしてホンダの後部トランクに積み込んだ。
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