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朝八時から十五時までを一号が、十六時から二十三時までを二号が、二十四時から七時までを三号が担当した。十五時から十六時まで、二十三時から二十四時まで、七時から八時まで、これらの合計三時間が空白の時間帯となるのだが、それは走入自身が担当した。交代の度にエス同士が鉢合わせして顔見知りになるのを避けるためだ。どうしても走入自身が監視作業に入れないときはしょうがないから、家主の老人――定年退職して暇を持て余している――に特別手当てを支払って監視作業を手伝ってもらった。麻薬取締官ごっこをするだけで万札を余計に戴けるのだから、七十歳に手が届こうとしている刑事ドラマ好きな老人は監視の手伝いを頼む度にホクホク顔であった。
走入は、三人のエス(と家の主人)に堂園邸の監視をまかせた上で、堂園本人を徹底的に尾行してその行動を詳細に把握した。さらに堂園の屋敷の留守の時間帯を狙い、白昼堂々と玄関をピッキングして侵入。堂園の書斎の本棚にアドルフ・ヒトラーの我が闘争上下巻やら原爆製造入門やら要人暗殺完全マニュアルといった見るからにヤバい種類の本を仕込んでおいた。上記の本はいずれも所持したり読んで知識を頭に入れるだけなら法的にまるで問題はない。それらの辛うじて合法である危ない書籍のほかに、どこから見ても完全アウトな非合法のポルノ本を仕込むのも忘れない。〈みさき十一歳ヌード写真集・恥ずかしがり屋な妖精〉〈はるか十二歳ヌード写真集・生意気な蕾〉などといった、堂園の妻が目にしたら引っくり返って気絶しそうな類いの書籍を本棚の裏の隙間に放り込んでおく。日中戦争、大東亜戦争、東西冷戦、学園紛争、交通戦争、受験戦争。戦争に明け暮れた昭和時代には生命の尊重などといった概念は今ほど明確ではなく、児童の尊厳や人権など無いも同然であったから、この手の写真集は一般の書店でアイドルやら芸能人やらの写真集と同じ棚に並べて当たり前のように販売されていたのだ。むろん現代ではこれらの書物は児童ポルノとして厳重に規制されている。走入が堂園の書斎に仕込んだ違法な写真集は、警察が押収した証拠品を保管するために設置された金庫に収められていたものだ。どこの警察署でも部所ごとに証拠品保管用の金庫が置いてある。被疑者の有罪が確定すると押収した証拠品は焼却されてしまうが、そうなる前に他のモノ(新聞紙、便所紙、ただの漫画雑誌、似たような大きさ似たような重量の燃える物体で材質が紙でさえあればなんでもいい。どうせ中身は大判の封筒に収められた上で厳重に封印されているから中身を確認されることなく焼却炉に放り込まれる)とすり替えてしまうのは簡単だった。公安警察官に不可能はない。児童ポルノ。その手の性癖を持たない多くの者にとってはまるで使い途の無いキワモノ本も、どこでどう役に立つかわからないものだ。
まだこれで終わりではない。堂園の妻の鏡台の引き出しの奥の目立たぬ場所や洋服箪笥の引き出しの奥に、空になった覚醒剤のパケを複数仕込んでおくのも忘れない。それらはすでに使い終えたものだから中身は入っていないのだが、もしも県警本部の鑑識がパケに付着した粉末を調べれば(微量ではあるが)確実に覚醒剤の成分が検出されるであろう。
パケの中身を使用したのはもちろん走入ではない。これもやはり押収品を収めた警察署の金庫から失敬しておいたものだ。
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