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先ずは口説くものだろ
「知らね。俺、医者じゃねぇし。てか、馴れ馴れしく触んなよ」
言えば、ロクはすぐに指を引っ込めた。
「すまねぇ」
「大体なぁ、仕事の打診するんなら、持ってる魅力で落とすのもありだけどよ、先ずは口説くもんだろ?」
言いながら、そういえば、こいつ口下手だから無理かと思い直す。
「お前と仕事がしてぇ」
ほら、やっぱり。
「それはもう聞いた」
「……」
「はあ、しょうがねぇな。わぁかった、良いぜ、やろうぜ、俺とお前でお仕事」
口説かれてはいないが、仕方ない。作品の事といえど、無理矢理にロクにエゲンの気に入っているところを吐き出させたところで虚しいだけだ。思う所あって申し込んで来るくらいだから嫌っては居ないだろう。
元々、初めて組んだきっかけだってエゲンがしつこく口説いたのにロクが根負けしただけだし、身体に手を伸ばしたのもエゲンからだった。
「……って」
「あ?」
「俺にとって、お前の作品は、あのマントのようだ。白い紙に黒い字で書かれているのに、読み手に、俺に、様々な色合いを魅せつけて来る。今の俺が焦がれて止まないものだ」
「なぁーに言ってんだよ、いろんな色、使いこなして絵を描いては画集やら何やら出してる人気作家のくせに」
「技術だけで描いたものばかりだ。暗闇色でも、色があるならまだ良い。だが、紙に乗ってるのは塗料だけで、実際には何も無ぇと感じる。お前は好きじゃないと言ったが、俺も今の俺の絵が好きになれねぇ。描くことさえ、嫌いになりそうだ」
そして、もう二度と筆を取ることがなくなりそうだと、言外に語っていた。
「大丈夫だ。そんな事にはならねぇさ。お前、俺と会う前の記憶はあるんだろ。お前は俺と会う前から絵を描いていたな。描く事はお前にとって食ったり寝たりと同じなんだから、好きも嫌いもねぇよ」
エゲンのニッと笑った表情も相まって、ロクは似たような台詞を何処かで聞いた覚えがある気がした。
『描く事が俺にとって生きる事なんだ』
『そ、俺とおんなじじゃん、食って寝て書く、だろ、な?』
ニッと笑う男は、そう言いながらも、書いてる時は食うのと寝るのを疎かにするから、ロクは。
「じゃあ、まあ、とりあえず、各々必要な奴らに連絡して、俺は女王のマントと暗闇の話を書くから仕上げたら渡すわ」
頭を掠めた何かは、エゲンの声に霧散した。
「寝るんじゃなかったのか?」
「あ、ああ、んー、ひと段落したら寝るわ」
「いや、先ず寝ろよ。顔色悪いぜ」
普通はとっくに成人済みの男に対してなど絶対に有り得ないが、自然と手がエゲンの頬に触れようとして、馴れ馴れしく触るなと言われたのを思い出して引っ込めた。
ヒタッと合ったエゲンの目には、嫌悪では無く怯えの色が差したように見えたが、
「おいおい、いくら俺のファンだからって、ただでお触りは厳禁だぜ」
おちゃらけた態度と口調で言ってくるのへ、
「金を払えば良いのかよ」
此方も軽い調子で返せば、
「嫌だね、下卑たエロオヤジみたいな返しをして。これだから三十路は~」
両手で自身を抱き締め、身をくねらせながらエゲンはソファの端に遠退いた。
「お前も三十路だろ」
呆れて呟いた台詞は勿論、聞こえないふりだ。
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