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その日はここ最近よりも仕事が終わるのが遅くなり、午後9時くらいにホテルに着く。
早く部屋に戻って横になりたいと足早にフロントを通り過ぎる。
このホテルにももう1ヶ月半ほど滞在しているので、フロントのスタッフとも顔見知りだ。
いつもにこやかに挨拶され会釈する程度だが、今日は様子が違った。
前を通り抜けようとすると、急に呼び止められたのだ。
「Excuse me, Mr. Otuka. May I have a moment?(すみません、大塚様。少しお時間よろしいでしょうか?)」
「Yes?(どうしました?)」
「I got a message for you.(大塚様に伝言を預かっています)」
思いがけないことを言われた。
(俺に伝言?ホテルのフロントで?)
心当たりがなく、怪訝な顔をしたのだろう。
フロントスタッフは少し申し訳なさそうに口を開く。
そうしてフロントスタッフが口にしたのは、さらに思いがけないことだった。
「The message is from a woman named Yuri Namiki. Do you know her?(伝言は並木百合という女性の方からです。ご存知の方ですか?)」
思わぬ名前に俺は目を見開く。
(百合!?百合がなんでホテルのフロントに伝言なんかしてるんだ‥‥?)
「What is that message?(その伝言は何て?)」
「She said I’m in the tea lounge here.(ここのティーラウンジにいるとおっしゃっていました)」
(え?百合がここにいる??)
伝言の内容も訳がわからない。
百合がここにいるはずなんてないのに、誰かの悪戯かとさえ思った。
俺はとりあえずフロントスタッフに礼を言うと、ティーラウンジへと向かう。
その時ふとスマホを見るとメッセージが届いていることに気がついた。
見ると百合からで、ホテルに戻ったら電話が欲しいとのことだ。
電話が欲しいといわれるのは珍しいので、何かあったのかもしれない。
ティーラウンジへの歩みを進めながら、そのままスマホで百合に電話をかける。
すると、数コールもしないうちに百合の声が聞こえた。
「もしもし、亮祐さん?ホテルに戻ってきたの?」
電話口の百合は外にいるようで、少し周囲の声が耳に入る。
その声は日本語ではなく英語だ。
「百合、今どこにいるの?」
そう聞いたのと、俺がティーラウンジに到着したのはほぼ同時だった。
そして俺の目は目敏く百合の後ろ姿をすぐに捕らえる。
(まさか、本当に百合がニューヨークに?信じられない‥‥!)
そのまま百合の後ろ姿を目に入れ、俺は近づく。
百合は俺にはまだ気付いていないようで、そのまま電話で話し続けている。
「実はね、ニューヨークに来ててね、亮祐さんが泊まってるホテルのティーラウンジにいるんです。ちょっとだけ会えたりする?」
恐縮するように伺う百合の声が、電話越しではなく直接俺の耳に飛び込んできた。
「ちょっとだけなの?ちょっとだけで百合はいいの?」
スマホを当てている耳と反対側の耳元でそう囁きながら、俺は後ろから百合を抱きしめた。
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