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 オレと碓氷はただ家が近所だというそれだけの理由で知り合った。オレたちの地元はここより小さい街で、そんなに子どもが大勢いたわけじゃない。歳は違くとも、同じ年代の子どもというだけで仲良くなった。オレたちの繋がりなんてそんなもんだ。ただの幼馴染、それだけ。  碓氷は昔からあんな感じだった。あんまり覚えてないがおそらく最初に会ったときから。他人に尽くすのが好きで、いつも笑ってて、いろんなやつをその気にさせる。碓氷の周りにいるやつはみんなあいつが好きだった。恋なんてそんな可愛いもんじゃなくて──ある種の崇拝みたいなやつだ。  まともなやつばかりならいいさ、勝手にすればいい。でもあいつは変なやつまで呼び寄せる。あいつと会ってからおかしくなったやつもいるだろうが、そういうやつほど手に負えない。今まで誰かに優しくされたことなんてないやつが、たった一度微笑まれただけで依存する。ま、そりゃそうなるよな。底辺に生きてるような屑にとって、碓氷の存在は光というか……たったひとつの救い。縋りたくなるのもわかる。  碓氷にその自覚があればまだ良かった。だがあいつは自分の存在が周りにどういう影響を与えているか気づいていない。だからタチが悪い。自分のことは二の次で、周りの奴らが気持ち良くなることだけを望んでいる。そうやって無自覚なまま何人もの人間を狂わせてきたんだ。本当に悪いやつだよ、碓氷螢一郎という男は。  碓氷が十五の時に、あいつに弟が生まれた。その日は朝から雪が降っていた。 「直史、直史! 生まれたぞ! 私の弟だ、お前も見に来い!」  まだ辺りも暗い早朝に碓氷は頬と耳を真っ赤にして、柄にもなく興奮してオレの家まで走ってきた。あいつがこんなに感情を露わにした顔は見たことなかったから、オレは内心驚いていた。碓氷に手を引かれてあいつの家まで行って、生まれたばかりの赤ん坊の頬をつついてやったのを覚えている。 「かわいいなあ、ふふ。あっ、笑った! 私がわかるのか」  碓氷は本当に嬉しそうに笑っていた。お袋さんに支えてもらいながら弟を胸に抱いて、慈愛に満ちた眼差しで赤ん坊を見ていた。その様子を見て、オレはあまり心が落ち着かなかった。今思えば、あの時はオレもまだまだ子供だった。これからはこの赤ん坊が碓氷の愛情を独り占めするんだと、妬ましく思ったのだ。たった今生まれたばかりの赤ん坊に、ましてやあいつの弟になんて気持ちを向けてやがると内省した。でもオレは馬鹿だから、その嫉妬心を捨てることはできなかった。  もしかしたら、オレと同じ気持ちを抱いたやつがいたのかもしれない。  碓氷の家が火事になったのはそれから半月くらい経った後だった。放火らしいということは後になってから噂で聞いたが、実際のところはわからない。あいつに狂わされた人間が、自分だけを見てほしいと思ってあいつの家に火をつけた……そんなことがあるかと思うだろう。しかし可能性はゼロではない。狂った人間というのは、本当にとんでもないことをやらかすものだ。オレは何故だか、あいつの家が焼けたのはあいつ自身に発端があるような気がしていた。  火事が起きたのは早朝だった。ひとりで寝ていたあいつはすぐに気づいて逃げ出せたが、両親と弟は駄目だった。灰燼に帰した家の前に立ち尽くして、周りの大人が彼を気遣う声も無視したまま、碓氷は涙を流すことなく空を見上げていた。家族を失って泣きもしない碓氷に、少し恐ろしさを感じた。  それからしばらくはうちで碓氷を預かった。碓氷の両親は駆け落ちでこの町にやってきたらしく、彼を引き取ってくれる親戚もいない。もう十五だから働ける歳ではある。働き口が見つかるまではと、両親に頼んで碓氷をうちに住まわせた。このまま呆気なく別れが来てしまうのが嫌だったという気持ちもあったが、あの状態のままあいつを放っておけるわけがなかった。  しばらくしてあの男が現れた。どこか知らない遠くの街からわざわざやってきた男は、文壇に上がってもいない無名の作家だった。大して金があるわけでもないのに小間使いを探していて、噂を聞きつけて碓氷を見つけた。男にとって碓氷はちょうど良かったのだ。幼すぎず、上背があり体格もしっかりしている。周りをよく見ていて気配りもできる。そして美しい。あの男は碓氷を見つけられたことを喜んでいた。 「なあ、本当にあいつのところに行くのかよ。もっとまともなやついるだろ」 「……私は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、直史。いつまでもお前の家に迷惑かけるわけにはいかないし、あの人はきっといい人だ。私を見つけて選んでくれたのだから、その気持ちに応えたいんだ。それに……今の私には、選ぶ余裕なんてないからな」  相変わらず碓氷は笑ってすべてを受け入れていたが、おそらく一番最後のが本音だろう。オレは本当に嫌だった。碓氷があの男の元に行ってしまうのが、もう二度と会えなくなるのが嫌だった。そうするしかないというのはオレにもわかっている。ただあまりにも碓氷が自分を大事にしないものだから、オレは腹が立って哀しかった。 「あんまり可愛い顔をしないでくれ、直史。行きづらくなるだろう」 「行くなよ、螢」  碓氷は笑ってオレの頭を撫でた。二つしか歳が違わないのに、この時の碓氷はひどく大人びて見えた。オレ以外にその顔をしないでほしいと思うのは、オレが子供だったからだろうか。 「もう二度と会えないというわけではないんだ。いつか遊びに帰ってくるよ」  そうして碓氷は男に連れられて街を出て行った。どこへ行ったのかは教えてもらえず、本当にもう二度と会えないと思った。碓氷がいない日々は本当につまらない。何か変なことはされていないだろうか、誰かのものになってしまっていないだろうか、オレを忘れていないだろうか。不安と苛立ちばかりが募る毎日だった。
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