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空風が吹き荒ぶ秋の夕暮れ、俺と芦屋はぶらぶらと街を歩いていた。確かな目的はなく、ただ何か面白いものでもあればいいと、当てもなく歩く。十一月に入り、日が落ちてくると途端に寒くなってくる。二人とも金はないのでまともな防寒具はないが、部屋で燻っているのはつまらないと外に出た。寒風が目に染みる。乾燥した瞳を瞬かせて、芦屋はううんと唸った。
「乾、さみい……煙草くれ、火をくれ」
背の高い芦屋の背後に隠れるようにして俺は風をやり過ごす。
「ねえよ。だいたいこんな風じゃ火点かねえよ」
「んなことわかってるよ……ってお前俺を風除けにしてるだろ。隣歩け隣!」
人気のない往来で軽口を叩きながら笑いあう。この芦屋直史という男は俺より六つも歳が離れているが、俺がナメた口を利くのをまるで気にしない気のいい男だ。今年の春先に、熱で倒れていた俺を偶然見つけて介抱してくれたのが出会いである。波長が合うのを感じてそれから何度か遊び、今では悪友と呼べる関係に進展した。
俺は今までに会った誰よりも、芦屋の隣が居心地いいと感じていた。
「今日は仕事ねえの?」
「あー、今日はねえな。最近見つからなくてよ」
芦屋は実家を勘当されて地元を出てきたらしく、日雇いの仕事を転々としながらどうにか食い繋いでいる。実家からの細々とした仕送りで暮らす俺も金銭面には困っていたので、これ幸いとひとつの下宿を二人で借りて共に住んでいる。
「お前、仕送りはどうしたよ。ちょっと遊ぶくらいの金余ってんじゃねえのか」
「ない」
「はー、またアレかよ? やめろとは言わねえけどよ……煙草買うくらい残しとけよな」
「俺が使う分はあるよ。アンタにくれてやる煙草はねえってことだよ」
芦屋は「生意気なクソガキだな!」と呆れたように笑った。こんな風に明け透けに物を言っても芦屋は笑って流してくれる。冗談を言い合える友達なんてのは今まで誰もいなかったから、俺は芦屋と会ってから毎日が楽しかった。
通りの反対側に、見知った顔を見つけた。俺はあまり会いたくなかったが、彼の姿を見るなり芦屋は嬉しそうな顔をした。
「碓氷!」
芦屋は大きく手を挙げて声を掛けた。彼もこちらに気づいたらしく、路面電車が通り過ぎるのを待ってからこちらに歩いてきた。薄っぺらい着流しに襟巻きだけ巻いていて、俺たちよりも寒そうだ。
「ちょうど良かった。今オレたち暇しててよ、お前も一緒にどっか遊び行こうぜ。花街の方でも行くか?」
「は、勝手に決めんな。金がねえって言ってるだろ」
俺はあんまりこの人と関わりたくないのだ。芦屋と遊ぶのはいいが、この人も一緒となると話は別だ。俺はこの人が嫌いだ。
碓氷は芦屋の幼馴染で、芦屋よりさらに二つ歳上である。名も知れない小説家の家に小間使いとして住み込みで働いている。いつも微笑を浮かべ親切で柔らかな人柄なのだが、俺はその優しさに恐ろしさを感じていた。綺麗な人だとは思うが、その笑みは薄っぺらく見え、何を考えているかよくわからない。何もかも見透かされているようで、どうにも気味が悪い。
碓氷は芦屋の誘いに首を振った。
「すまない、せっかく誘ってくれたのに悪いが、今夜は用事があるんだ」
俺はホッと胸を撫で下ろすも、その「用事」とやらに心当たりがあり、ちらりと芦屋の顔を盗み見る。さっきまで上機嫌に冗談を言っていた男はどこへ行ったのか。猫のような瞳を細めて、憎らしげに碓氷を睨め上げていた。
「あっそ」
凍てつくような冷たい眼差しを向けられても、碓氷はその微笑を崩さない。
「今度埋め合わせするから、また誘ってくれ」
そうして碓氷は踵を返す。その背中に、芦屋の腕が伸びる。徐に碓氷の襟巻きを掴んで乱暴に引っ張った。ぐ、と息の詰まる声が聞こえ、包帯の巻かれた首筋が露わになる。緩んだ包帯の隙間から治りかけの切り傷が見えた。
碓氷が振り返るよりも先に、芦屋はその首筋に噛み付いた。尖った八重歯が肌に食い込み、血が滲む。碓氷は痛そうに顔を歪めるが、芦屋を振り払おうとはしなかった。
「芦屋」
碓氷が困ったように名を呼ぶと、芦屋は仏頂面で口元の血を拭った。首筋にはくっきりと歯形が残り、しばらく傷跡が残るだろう。しかし碓氷は芦屋を咎めることなく、何事もなかったかのように襟巻きを巻き直した。
「気は済んだか?」
そうしてまた笑みを浮かべるものだから、俺はゾッとした。芦屋は不機嫌そうに舌打ちをして、「さっさと行けよ」と固い声で言い放った。
「ああ、じゃあ、また」
彼の背中が見えなくなるまで俺と芦屋はずっとそこに留まっていた。芦屋がずっとその背中を見つめたまま動こうとしないのだ。
「おい」
往来で突っ立ったままでいるのをさすがに見兼ねて、腕を引く。芦屋は俺を一瞥して、碓氷が歩いて行った方向に歩き出した。
「どこ行くんだ」
ギロリと睨まれて、芦屋は不敵に笑った。
「あいつが殺されるのを見に行く」
思わずはあ、と溜息を吐く。芦屋のことは快い人間だと思って好意的に見ているが、この人のこういう部分は理解できない。俺が何を言っても無駄なことは承知しているので、渋々後を追いかけた。
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