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「おい、何してんだ」
拳を振り下ろそうとした瞬間、背後から氷のような声がした。
「芦屋」
なんでこんな最悪なタイミングで現れるんだ。碓氷は目を細めて嬉しそうに名を呼ぶ。振り返ると、芦屋は機嫌が悪そうにコートのポケットに手を突っ込んで俺たちを睨みつけていた。猫のような瞳孔が細くなり、薄暗い路地裏で光ったように見えた。
「今日は帰ってこないんじゃなかったのか? 乾からそう聞いたが」
「予定が変わった」
芦屋はぶっきらぼうに答え、冷ややかな目で俺を見下ろした。
「何してたんだ、こんなとこで。なあ」
俺が何か答える間もなく、芦屋は無表情のまま俺の首を締め上げた。親指が喉仏にぐっと沈み、息ができない。芦屋は顔に憤怒と軽蔑の色を浮かべながら、俺を絞め殺そうとする。
「お前、どういうつもりだよ。いくらお前でも許さねえぞ」
「う、……ぐっ、ぁ」
頭に血が上って視界がぼやけていく。芦屋の怒りは尤もだ。悪いのは俺だとわかっている。今更言い逃れをするつもりはないが、このままだと本当に殺される。それくらい芦屋は本気で俺を締め上げていた。
「あ、芦屋、やめろ。悪いのは私だ、乾は何も……」
「お前は黙ってろ」
止めに入る碓氷にも芦屋は殺意の籠った目を向ける。
「お前もお前だ、碓氷! いい加減にしろよ、どうしてお前はいつも……」
「わかった、わかったから手を離せ! 乾が死んでしまう」
碓氷が叫ぶとようやく芦屋は手を離した。うまく息を吸えなくて派手に咳き込む。さっき飲んだ薬のせいもあってか、意識が朦朧としてきた。足に力が入らなくて倒れそうになったところを、碓氷に抱きとめられた。
「やりすぎだ、芦屋。私が悪いんだ、私が乾を怒らせてしまっただけなんだ」
くそ、ふざけるな。この期に及んでまだ俺を庇うのか。そう言ってやりたいのにまともに喋ることもできない。
「……お前がそう言うならそういうことにしておいてやるよ」
芦屋は舌打ちして吐き捨てた。芦屋はきっとわかっているのだ。俺と碓氷の間に何があったか、俺が碓氷に手を上げた理由もおそらくわかっている。むしろ、芦屋は俺と同じ気持ちさえ抱いているのだろう。それでも芦屋は碓氷に心酔しているから、どんな理由があっても俺を許さないのだ。
「は、狂ってんな。アンタら……」
ようやく息が整い、心配そうに背中をさする碓氷の手を振り払って呟いた。
何奴も此奴も狂っている。俺たちは皆等しく狂っている。それなのにひとつも分かり合えないのだ。笑えてくる。
「行くぞ、碓氷」
芦屋は強引に碓氷の手首を掴んで歩き出した。碓氷は何度か俺の方を振り返って、困ったように眉尻を下げて曖昧に笑った。
「悪い、乾。またな」
路地裏を抜けてあっという間に雑踏に消えていく。一人残された俺は、よろよろとその場に頽れた。体が火照り、頭がズキズキと痛む。冷たい壁に背を預けて座ると、ひんやりして気持ちがよかった。
「は、はっ、はは」
乾いた笑いが込み上げる。馬鹿馬鹿しい。死にたい。眠りたい。もう何もかも放り出して、何処かへ消えてしまいたい。自暴自棄になって、俺は大量の薬を瓶から出した。躊躇うことなく一気に飲み込む。これだけ飲めば、願いも叶うだろう。
しばらくぼーっとしていると、徐々に意識が朦朧としてきて、世界がゆらゆらと揺れているような感覚に陥った。猛烈な睡魔が襲ってくる。俺は安心して意識を手放した。
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