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今、吊り天井を支えている俺は高校に通うごく一般的な少年。強いて違うところを挙げるとするなら未だに地上最強を諦めていない。名前は我道猛。
男の子の九割以上が一度は憧れる地上最強。
そしてそのほとんどが心折れてきた地上最強。
俺は同級生に後れを取るまいと空手を習い、ガキ大将に負けては巻き藁を突き、親に殴られては木製バットを蹴り、挑発して逃げる卑怯者を地の果てまで追いつめる為に走り込み、今までありとあらゆる理不尽にこの肉体ひとつで打ち勝ってきた。
ところで漫画やアニメでときどき見かける吊り天井だが、実際に遭遇した経験はあるだろうか。
ちなみに俺は初めてだ。
犯人も動機もわからない。ただ下駄箱に入っていた差出人不明の果し状にはこの空き教室が指定されていた。
約束の時間に訪れてみると本来あるべき机や椅子までなにひとつ無く、代わりに中心に一枚の紙切れが落ちている。見ればそこには一言「頭上注意」とだけ書かれていた。果たし状の差出人と同じ人物が書いたのだろう。なかなかの達筆だ。
頭上と言われても特に怪しい感じはしなかったが……そう思いながら俺が上を向くのと、部屋全体の天井が落下してくるのがまさに同時だった。
室外へ逃げられる速度じゃない。ならば……天井の重さはわからないが、受けるより他に術は無し。
覚悟を決めて両腕を突き上げる。歯を食いしばって骨に響くような衝撃を耐え、膝に力を籠める。
どのような理不尽、不可能であろうとも立ち向かうと決めたからには全力を尽くすのが俺の流儀。耳目から噴血せんばかりに力んで全てを振り絞り、吊り天井は辛うじて受け止めることが出来た。
危なかった。
落下の速度と衝撃があったので瞬間的に全力を出さざるを得なかったが、一旦止めてしまえば支えられないほどの重さではなかった。
しかしこれは一体……学校の空き教室に吊り天井、だと? 少々世間ずれしていると言われたりもする俺だが、これが異常な状況だということくらいは理解出来る。俺を呼び出した犯人は、わざわざこんな大掛かりな罠を用意したというのか? 信じがたい話だが、ともあれこの状況を脱出しなければ。
重さの掛かる位置と力みを調節しながらじりじりと扉のほうへと向きを変え、天井を支えたまま移動を開始する。五ミリ、一センチ、僅かずつではあるが移動出来る。脱出は可能だと確信したそのとき、扉の前に人影が立ちはだかった。
それは冗談のように豊かな金髪縦ロールの吊り目美少女。制服も指定のようでいて細部にレースやら錦糸やらがあしらわれ無闇矢鱈とゴージャス感に溢れている。
「おーっほっほっほ! 我道くん、吊り天井に押しつぶされるどころか支えたまま脱出しようだなんて、さすがわたくしが見込んだ男だけのことはありますわね!」
「き、君はっ! クラスメイトの大強院さん!」
彼女こそ誰もが知る大企業会長一族のご令嬢、大強院邪姫子。財力権力容姿才能なにひとつ欠けの無い絵に描いたようなお嬢様だが、校内では自分も一生徒という立場を守っており生徒の間では“ちょっと面白いひと”くらいの扱いだ。
彼女は俺の声に微笑みを返して教室へと足を踏み入れた。
「待つんだ! ここは危ない、下がれ!」
制止を無視して目の前までやってきた彼女との身長差は本来なら20センチ以上だが、吊り天井を支えるために膝や背を少し曲げているので彼女が背伸びをすれば頭の高さは変わらないくらいになっている。つまり彼女にとっても天井はかなり不安を感じる高さにあるはずだ。
「君は……まさか、この仕掛けは君が……?」
彼女はほんのりと甘い香りが届くほどの至近距離で、問いかける俺を見上げて瑞々しいくちびるをちろりと舐める。
「いかにもその通り、吊り天井の企画発注から果たし状の執筆まですべてわたくしでございますわ」
「なるほど見事な達筆だったぞ!」
「おほほ、ありがとうございます」
「ところで君が仕掛け人というのであれば、そろそろ吊り天井をなんとかして欲しいのだが」
「それは出来かねましてよ」
「何故」
「だってまだ目的を達しておりませんもの」
手を後ろに組んで上目遣いで発せられた言葉で、確かに“なんのために”という根本的なところを聞いていないと思い至る。
「では、その目的、とは?」
「我道くん、貴方に勝つことですわ!」
俺に挑もうということなのか? しかしそれにしては彼女が嗜み以上に武を収めているとは思えないのだが。
「いったいなんのために……もしかして俺が君になにかしたのか?」
「おほほほほ、愚問でしてよ我道くん! 誰かに勝ちたい、その気持ちにいちいち私怨じみた理由が必要でして!?」
「い、いや、そう言われれば必要は、無いが……ならば何故正々堂々正面から挑んで来ない?」
「正々堂々?」
「そうだ。果たし状で呼び出し吊り天井の罠にかけて身動きできなくなってから俺の前に姿を現して目的は勝利だと言う。この仕掛けだって権力や財力がなければまかり通らない強引な手口だ。親の力を使ってまで姑息な手段で得る勝利に価値があるのか?」
詰問するような強い語調になってしまったが、間違ったことは言っていないつもりだ。彼女は怯えこそしなかったものの少々面食らったように目を丸くしていたが、すぐに我に返って目を細めた。
「それは考え方の違いですわね。わたくしとしても納得ずくの結末を得たいですから、ひとつずつお答えして参りましょう」
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