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「考え方、だと?」
「そう、考え方でございます。そもそも貴方に対して正々堂々正面から、というのはわたくしの全力とは申せませんわ」
「どういう意味だ」
「勝つと言っても殴った蹴ったを競いたいわけではございません。貴方がその肉体を鍛え上げあらゆる理不尽を打ち破り遠くから揶揄する者をこの世の果てまで追いつめるその姿勢、いつも感服しておりますわ」
「お、おう……ありがとう」
急に褒められて気恥ずかしさが出てしまったが、彼女が言いたいのはそのあとに続く言葉だったようだ。
「そしてそれが貴方の全身全霊だと考えればこそ、拙い武で貴方と相対するなどむしろ礼を失する行いですわ。わたくしも持てるあらゆる限りを、全身全霊を尽くさねばなりません」
「姑息なのではなく俺の力に知恵で立ち向かった結果だと言いたいのだな。だが、それでもこの仕掛けは一学生には余るだろう。親の権力や財力を君の力と呼べるのか?」
「我道くんだってアルバイトで稼いだお金ではなく親御様からいただいたお小遣いでバンテージや湿布を買ってらっしゃるでしょう? ドラッグストアではなく近所の小さな薬局を利用していてときどきお店の方にオマケしていただいているのも存じておりましてよ?」
淡々と語る彼女が何故俺のことをそこまで知っているのだろう。気にはなったがむしろ語られた以上に色々と知られていそうで怖くて確認出来ない。
「そ、それがなにか……」
彼女は我が意を得たりとばかり大きな身振り手振りで互いを指差す。
「貴方はお小遣いでバンテージを買い人脈を通じてオマケしていただく! わたくしはお小遣いで吊り天井を発注し人脈を通じて改築許可を取り付けさせていただく! そこになんの違いもありはしませんでしょう!? 確かに本人の力では無いかもしれませんけれどもこれはお互い様、公平の範囲内でしてよ! あとよくオマケしてくださる薬局の娘さんは密かに貴方へ心寄せておられますけれどもわたくし年増には負けませんでしてよ!?」
「違うのだ! ……いや、違わないのか?」
もの凄い勢いでまくし立てられて思わず反射的に否定してしまったが、どう違うのかと言われると説明出来ない。
「違いませんでしてよ」
「そう……なのか」
俺とは対照的な彼女の落ち着いた迷いのない一言になんとなく納得してしまう。せざるを得ない。
「あと、なにか最後に違うことを言ってなかったか?」
ちょっと混乱して十分に聞き取れなかった気がするが、彼女はスンとした表情で「耳鳴りではないかと」と言ったのでそれ以上追及するのは止めた。
「“俺に勝ちたい”の意図するところは“武の競い合い”ではなく文字通りひとりの人間としての“全身全霊の果し合い”なのだな。概ね理解した」
なにか盛大に言い包められただけのような気もするが、俺は元々弁が立つほうではないので口論など無意味と言っても過言ではない。
「だが、それでどうする。スポーツの成績も優秀な君にこう言うのは失礼かもしれないが、俺なら一秒片足を上げた間に君を蹴り倒すことも出来るだろうと思うが」
彼女が己の理屈で俺に理不尽を繰り出すならば、俺はこの肉体ひとつでその全てを打ち払って見せよう。ああ、その気になってみればまさにこれこそ全身全霊の戦いという気すらしてくるから不思議だ。
「もしそのようなことをなさいましたら、わたくし学校内外を問わず貴方に蹴り倒されたと言いふらしますわ。その鍛え上げられた脚で女子高生を一撃の下に沈めたとSNSでも言いふらしますわ」
「そ、それはさすがに……余りにも汚くないか……」
「いいえ汚くなどございません。貴方が防御の型や返しの技を繰り返し鍛錬してきたように、わたくしこの日のために一生懸命理屈を捏ねて参りましたのよ!」
「あ、はい」
「そもそも軽率に気遣いを発言なさるのは、わたくしに対して不誠実ではございませんこと? 蹴れば倒せると思われたのであればわたくしが余計なことを言う前に蹴って倒すべきだったのです。それが我道くんの全身全霊ではなくって?」
「ああ、そうだな……すまなかった」
謝ってしまったが、何故俺が説教されているのだろう。
「もちろんそのお気遣いは嬉しく思いますけれども」
なにか釈然としない表情でフォローを入れてくれたが釈然としないのはむしろ俺のほうなのだが?
しかし、なんにせよ少し辛くなってきたのでこの状況だけでも打開せねばならない。俺はこのやり取りをずっと吊り天井を支えたまま行っているのだ。当然持久力も徹底的に鍛えているが、正直かなり疲れてきた。
だが迂闊に口を開けばまた彼女の理論武装に破れそうな気がする。俺は黙って足を前に出し、手を天井に滑らせて彼女が来る前と同じように扉へ向かって進み始めた。とにかくまずはこの教室を出なくては。
進行方向には彼女が居るが俺が動けば彼女も退くなりなにか行動を起こすなりするだろう。
そんな俺の考えは浅はかだったと言わざるを得ない。
彼女は明らかに意図して俺の進行方向に立ち塞がったのだ。俺が前進しても躱そうとする素振りはない。
俺の鼻先が彼女の髪に、俺の胸板が彼女の豊かな胸に触れそうなほどになってもまだ身じろぎひとつせず、無防備に手を後ろに組んだまま俺を見上げている。その表情には俺の迷いを見透かすような笑みが浮かんでいた。
“敵”ではなく“クラスメイト女子”として、その肢体に触れる行為に気後れしていることを見抜かれているのだ。くっ……動けない……。
「ところで」
動きを止めざるを得なかった俺に向けて、彼女はにこやかに提案してきた。
「全身全霊を傾けて戦う好敵手としてご理解いただけたようですし、よそよそしい呼び方は止めてこれからは貴方のことを猛と呼んでもよろしいかしら」
「あ、ああ……もちろん構わないとも」
なにもかも釈然としないが彼女が本気でこの場に臨んでいることだけは俺にも伝わっていた。だから彼女の親近感のある呼び方をしたいという提案にふたつ返事だったのだが。
「では猛……わたくしのことも大強院さんではなく邪姫子、と呼んでくださいましね」
即座にやってしまったと後悔するハメになった。
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