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ゆにてぃって呼んでくださいね
その日の午後は暑かったその夏でもとりわけ暑かった。わたしはリビングのスツールに腰掛けたまま、窓の外を眺めていた。もちろん室内には空調が入っている。それでも、その日の暑さを知るには白く焼かれた街の画だけで十分すぎた。そんな真っ白な夏の日。
インターフォンが鳴って、わたしはスツールから滑り降りた。室内を移動するとき、わたしは杖なんかほとんど使わない。あちこちに手すりがあるし、支えになるものも配置してある。いざとなれば這って行けばいい。誰も見ていない。
病院では片足で跳ねて移動してはいけないと言われた。万一足を滑らせると危険だからと。それはそうだと思う。けれど、それでわたしが頭を打ちでもして、仮に死んだなら、誰が悲しむだろう。誰に不都合があるだろう。
「お客さん、連れて来たよ」
波那子はいきなりそう言った。インターフォンの画像には波那子の右目しか映ってない。カメラに近づきすぎるのは波那子の癖だ。こちらがのぞけるわけじゃないのにね。
隅の方にかろうじて髪の長い少女が見える。波那子のいうお客さんらしい。こころあたりなんかない。いったい、誰がわたしになんか用がある?
数分後、玄関を開けると波那子が飛び込んできた。バッシュを脱ぎすてると両足跳びで、一気にたたきを超えて廊下に着地する。そう、飛び込むは比喩じゃないの。
波那子は水色と白を幅広のストライプにしたシャツにショート・パンツ姿。多分、サッカーチームのユニフォームなんだろう、背中に10と番号が入っている。手に提げたエコバッグを振り回して、「お菓子、買ってきたよ。飲み物ある?」と叫ぶように言う。
「冷蔵庫に、いつも通りのがはいってるから」
「うにゃっほう」で行ってしまう。〝お客さん〟と、わたしは置き去りだ。
「ええっと」
わたしは中園遊新をそのとき、はっきりと見た。
インターフォンで見えたとおり、彼女の髪は長い。ふっさりとしたその髪に囲まれて、顔立ちは少し幼くてあどけない。同時にしなやかな長身で、すでに女性として完成された身体つきになりつつある。
身長が百五十センチちょっとしかなく、控えめな胸とお尻が密かなコンプレックスだったわたしは、その点には敏感だ。彼女は美少女ではなく、美女のつぼみだった。本当の意味で花開くのはもう少し先だろう。それまでは誰もが彼女ことをかわいいと言うだろう。そして花開いた彼女を見て、自分たちが何も見ていなかったことに気付くだろう。
「こんにちは」彼女は軽く一礼した。「かなたん」
わたしは絶句した。いろんなことを考えていたけれど、かなたん呼ばわりは想定外だった。
「中園遊新と言います。これ」彼女は手にしていた紙袋を示した。「近所のケーキ屋さんで買ってきました。美味しいって評判らしいです」
「あ。ありがと。……あ、上がって」
「わたしのことはゆにてぃって呼んでくださいね」舌がもつれそうな気がした。「あれ? 違いました」
「なにが」
「桜瀬かなたさんだから、わたし、てっきり、かなたんでいいと思ってたんですけど違いました?」
「違わない。いいよ、かなたんで」少なくとも、わたしとしてはそのつもりだった。ニックネームはかなたん、キャッチフレーズは。
「キャッチフレーズはもう考えてました?」
「ううん」嘘を吐いた。
キャッチフレーズは「わたしがいちばんかわいいんだぞ。かなたんこと桜瀬かなたです」だった。なぜだか言いたくなかった。
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