夜の風が

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夜の風が

 わたしはリビングの窓をすべて開け放つ。北向きで日差しの差し込まない十三階の角部屋。風の通り道を作ってやれば、外の街が焦熱に焼かれていても、空調は不要だ。  わたしは松葉杖を投げ捨て、脚が一本足りない私自身の身体を投げ出す。手元にはデジタルの時計がある。リビングの固い床に頬をつけて、わたしは液晶の数値を見つめる。  一分は六十秒、一時間は六十分、だから一時間は三千六百秒からなる。一日、二十四時間は八万六千四百秒。一年は三百六十五日、七十年なら二万五千五百五十日。掛け合わせると人の一生の大まかな秒数がでる。耐えられないほど膨大な値ではない。  液晶がひとつ瞬くごとに、わたしの生から、またひとつ秒が消える。わたしはこうして一日を過ごす。  開いた窓の外で、空が輝きを帯びた濃紺に染まる。輝きはゆっくりと、けれど確実に失せて行く。やがて空は漆黒に変わり、星どもが顔を見せ始める。青白い月が、最後に上る。  夜の風が、わたしの身体の上を過ぎていく。
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