最終話_最初で最後の

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切れ長の漆黒の瞳は、飾り気も戯れも無く、まっすぐ蒼矢を見つめていた。 「…だから、お前のことは諦めてやる」 「…」 「どこへでも、好きなところに行けよ。…お前の中ではもう決まってんだろ?」 その言葉に、蒼矢(ソウヤ)の瞳が揺れる。 返答は無いものの、胸秘める想いに頬を染める面差しを眺め、影斗(エイト)は落ち葉を手放し、近付いていく。 見つめ返してくる蒼矢の顎を取り、影斗は小声で語りかける。 「…行っちまう前に、今だけでいい。"影斗"って呼んで」 「!」 真摯に注がれる眼差しから請われた言葉に、蒼矢の目が一瞬見開かれる。  ――名前で呼べよ―― 4年余り前、彼と出会った頃の光景が記憶から蘇り、目の前に映し出される。  ――お前さ、彼女とかいる? …じゃあさ、彼氏は?――  ――お前のこと好きになったかもしれねぇ――  ――お前のこともっと知りたいと思ってる。外見だけじゃなくてさ。最初はそりゃ見た目から入ったけど、今は中身の方がすげぇ興味ある―― 自分が今まで繰り返してきた幾つもの出会いの中で、一番異端で、微塵も嬉しくなくて、…だんとつで衝撃的だった、彼との出会い。 そんな、不信感しかなかった彼への印象が変わっていくまでに、時間はいくらもかからなかった。 彼無しでは得られなかった刺激や経験が、数えきれないほど自分の中に降りていった。 ごく狭い日常で生きてきた自分の視界がどんどん広がっていくことに、戸惑いながらも胸の高鳴りを抑えられなかった。 厳しさも、優しさも、…愛情も、溢れるほど貰ってきた。 そうして彼との関係を重ねていくうちに、自分にとってネガティブな感情しかなかった出会った時の記憶は、頭の隅に隠されてしまった。 でも、彼にとっては…いくつ関係を重ねたって、自分と出会った時が一番忘れられない瞬間だった。 …なのに、俺は… 視界がぼやけ、唇からか細い声が漏れる。 「……影…、斗…」 「もう一度」 「…影斗…」 低く落ちる声にはっきりとそう応えながら、蒼矢は目を閉じる。 その瞼にうっすらと滲む涙を見、影斗は柔らかく微笑う。 そして眼鏡を取ると、薄闇のなか立つ首筋と髪に触れ、優しく唇を重ねた。 頬を伝う涙が触れる前に、口元に感じた柔らかな感触は、煙草の香と共に離れていく。 目を開けると、かけ直された眼鏡の向こうに見える影斗は、元居たところへ変わらず立っていて、やはりいつもと変わらない悪戯気な面差しを向けていた。 「()からはまた"先輩"だ。…呼び捨てはもう一生許さねぇ」 「…はい」 「…じゃあな」 そう一言だけ告げられた蒼矢は、無言のまま彼へ向けて深く頭を垂れ、踵を返しその場を離れていく。 影斗はその後ろ姿を目で追うことはなく、彼の行く方から背を向け、夕空を仰ぎ見ていた。 中庭から表の玄関まで戻ってきた蒼矢は、息を吐き出しながら目元をぬぐう。 「…」 気持ちを落ち着かせようとその場に立ち尽くしていると、鳥居の方から砂利を踏みしめる音が近付いてきた。 その気配に顔をあげると、無造作に伸ばした茶色い頭をひとつに縛った背の高い男が、こちらを向いて立っていた。 「……迎えに来た」 (レツ)は蒼矢の面差しに一瞬言い躊躇ったものの、努めて優しく、穏やかな瞳を注ぎながら声をかけた。 蒼矢はその穏やかな彼の顔を呆然と眺めていたが、やがて自然と引かれるように足が進んでいく。 隣に立ち、うっすらと紅くした瞳で見上げてくる彼へ烈は薄く頷き返し、ふたりは並んで神社を離れていった。 ―終―
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