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第10話 魔女の正体
円卓会議の間。
先に入った魔法学園長シビルと大神官長モロドワは、あとに入ってきた三人と一匹というべきか。グラムファフナーにヘンリック、マクシの姿を凝視した。
正確にはグラムファフナーの腕に抱かれた、黒い小さなクマの姿にだ。
いつもは自分で歩いて、ぴょんと椅子に座るクロクマはグラムファフナーの腕に抱かれて、彼の手によって大切に隣の椅子に座らされた。緑葉の瞳は宙を見つめたままぴくりとも動かない。
異様な雰囲気のまま、グラムファフナーは会議の議題に移ろうとした。が、それを遮ったのはシビルだ。
「ちょっと待って、宰相のお隣の当代の勇者の盟友が、どうされたのかお聞きしたいのだけど?」
“当代の勇者”というシビルの声は揶揄に満ちている。彼女はヘンリックを勇者としては認めていない。彼女にとって勇者とは、勇者王アルハイトなのだ。
そして、シビルはアルハイトの臨終のときまで、彼の盟友、勇者の仲間として選ばれたがっていた。それが魔法学園長まで登りつめた、彼女の最後の目標と言えた。
アルハイトの死でそれは永遠にかなわないものとなったが。
「見ての通りだが?」
「あら、拝見したところ、どこからどう見てもクマのぬいぐるみのようだけど?」
そのとたんマクシの喉から「ゲッ!」という声がこぼれた。グラムファフナーもまた、表情を変えぬままに「予定変更だな」とぼそりとつぶやく。
もっと彼女を問い詰め、その罪を暴いてからのつもりだったのだが。
今の禁断の言葉を聞いて、あれが大人しくしているはずもない。
「ぬいぐるみじゃない!!」
その叫びはシビルが首から常にかけている、ネックレスから響いた。グラムファフナーがもう隠すこともないと、自分の左の薬指に巻き付けてあった糸に魔力を通し、クイと引っぱる。
ジャンヌという娘の意識に飛びこむ前に、グラムファフナーの薬指にテティが結び付けたものだ。
それは月光虹の布を織るときに使った、白雪天蚕の糸だ。
「この糸ならどんな閉鎖された世界でも、僕とグラムを繋いでくれるから、時が来たら呼び戻してね」
細い細い糸は魔女に気づかれることなくグラムとテティを結び、そして、どんな鋼鉄の縄よりも強く愛するものを引き寄せる。
シビルの首にかけていたネックレスの中央。大きな赤い宝石がバリンと砕け散ると、緑葉の光を帯びた魂が飛び出して、グラムファフナーの隣の黒いクマの身体に飛びこむ。
と、ぴょんと小さな身体は天井高く飛び上がり、くるくるくると回転して、しゅたっと床に降り立つ。
そして、両手を上にあげて背筋をぴしっと伸ばして「じゃ~ん!」と声を出す。
「テティ!」と声をあげたヘンリックに「ただいま~」と手を振る小さなクロクマを、シビルはにらみつける。
「そ、そんな月色の髪の姫君の正体が、こんなクマですって!」
「こんなクマでも、ぬいぐるみでもない!」
そして、テティはもこもこお手々からぴょこりとひとさし指を出して、シビルにむかってぴしりと「お前、悪者!」と断罪する。
「魂狩りの黒魔女!」
「ええい! 魔力と生命力にあふれる魂ならば、クマだって構わないわ! この際、その力、すべて吸い尽くしてやる!」
シビルの赤いローブに包まれた身体がざわりと震える。「はわわ」とあわてて隣に座る大神官長のモロドワが飛び退いたが、彼女はそんな日和見主義の雑魚など見てなかった。
赤いローブのフードがふわりとおりて、小さくまとめていた黒髪がすりるとほどける。その髪の先からみるみる白くなって、伸びたそれは触手のように、テティの小さな身体を捕らえる、蜘蛛の糸のようにその身体をグルグル巻きにする。
「やあっ!」とテティが声をあげて、グラムファフナーもマキシも、その剣の柄に手をかける。が、その前にテティが「脱皮します!」と叫ぶ。
クロクマの皮はくたりと、髪の毛でグルグル巻きにされたそれから滑り落ちる。同時に上から飛び出して、床に着地。「じゃ~ん!」と律儀に両手をあげているのは、月色の髪がふわふわと白く若木のような身体をおおう、テティの中身? だ。
マクシは「その手があったか」と感心したが、次の瞬間ぎょっと目を見開いた。
胸は真っ平らで細っこいがどう見ても男の身体だ。しかし、その少女のような顔立ちや月色の髪や、ミルク色の肌が色っぽいとでも口にしようものなら、隣で長剣を抜く宰相殿に真っ先に叩き斬られそうだが。
「かぼちゃパンツ……?」
「うん、テティの手作りだよ~」なんて、のんきな声はどうでもいい。どうでも良くないか、その細い腰をおおうふっくらとしたそれは。
「紫の段々濃くなるレースに銀色のリボンっていい趣味だな~って、なんで、俺はかぼパンごときの解説してるんだよ!」
「ごときってなに! これテティの最新作で、グラムのお気に入りのすみれ色なのに!」
「ああ、気に入りだからはかせた」と宰相様はしごく真面目な顔でのたまわった。
『はかせた? 』とさらなる問題発言に、マクシの眉間の皺がさらに深くなるあいだに、自分の上着を脱いでテティの肩にかけて、その白い上半身を隠した。隠したはずだが、開いた上着の前からちらちら見える、胸とかすみれ色のかぽパンとか、余計に色っぽくないか?
マクシは心中で叫びつつ、ヘンリックを片手で抱き寄せて守りつつ、その両目を大きな手で覆ったのだった。教育上なんかよろしくないと。
ヘンリックは「わっ! 見えない! なんかテティかわいい格好してなかった?」と問われる。かわいいかもしれないが、ヘンリックにはまだ早すぎると、とても見せられない。
そのあいだテティを狙って繰り出される、白い髪の毛の攻撃を、お星さまのロッドとグラムファフナーの長剣が振り払う。
しかし、防御ばかりで反撃しない彼らに、ヘンリックを守るマクシは内心で首をかしげた。正体を現したシビルの猛攻は強力であるが、二人ならばねじ伏せるのはたやすいだろうと。
そこで気づく。二人同時に大きな魔法など炸裂させれば、自分はともかくヘンリックや、部屋の隅で震えている大神官長にも被害を及ぼしかねない。
ならば二人を避難させるべきか? と考えたところで、とうとつに「キャアアァアアアア!!」というシビルの悲鳴が響いた。
「力が~わたくしの力がぁぁぁあああ!!」
魔女の身体はしゅうしゅうと煙をあげて縮んでいく。断末魔のようにのばした腕や指もみるみるしぼんで枯れ木のようになる。五十代半ばほどで止まっていたシビルの顔も、一気に百歳を超えた老婆のような容貌に。
「もともとお前の力じゃない」と言ったテティに続けてグラムファフナーが口を開く。
「女達の魂を失い、彼女達から奪ったすべての力で、テティを捕らえようとしたのだろうが、無駄だったな。
魔に身を落とせば、その魂も砕け散り転生もかなうまい」
その言葉どおり、その身体は急速に年老いてぱったりと倒れ、さらさらと灰となって崩れ去る。床にはただ赤く広がるローブだけが残された。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
魔女の正体は、イルゼが襲われた時点で、テティにはわかっていたという。
「だって、あのお婆さんと同じ匂いがしたんだもの。ザクロと麝香の匂い」
ザクロも麝香も魔術師が魔力を高めるためによく使う香ではあるが、その魔術師によって他の薬草など微妙に配合が違う。
テティの敏感な鼻はしっかりとそれを嗅ぎ分けていた。
しかし、それはテティがイルゼの精神世界で感じたもので証拠はない。
「テティの話で、あの魔女がテティに接触した事で、他の魂よりも魔力も生命力も強い……月色の姫君を狙うだろうことはわかっていた」
グラムファフナーがテティの言葉をうけて続ける。
娘を助けたいと願った父親はもちろんシビルの手先ではない。彼に王宮の噂を流した呪術師もまた、シビルの野望を知らず、ただ、被害にあっている家族に、そんな噂があると伝えるようにシビルの手のものに金を握らされたそうだ。
「タンサン夫人だが、変わらない美貌と若さを引き替えに、自分の領地の若い女を生け贄にささげていたのだろう」
「俺が疑問なのはそこだ。今まで一年に数人だったのに、なぜいきなり王都で大勢の女達を襲ったんだ?
まして、王宮内でメイドのイルゼに手を出したあげくの、あんなずさんな罠だ」
いままで慎重だった犯人がいきなりヤケになったとしか思えないというマクシにテティは口を開く。
「暴食だよ」
「は?」
その言葉にマクシがマジマジとテティを見る。
テティは小さなクマの姿に戻り、王宮の食堂にてシェフが次々とつくる料理を平らげていた。ガツガツではなく、それはマナーにのっとって優雅に。だがとんでもない量だ。
いまも最後のデザートの十枚重ねのパンケーキに取りかかろうとしている。グラムファフナーに蜂蜜をたっぷり垂らしてもらってご機嫌だ。
戦いがおわったとたんテティは「お腹空いたぁ~」と叫んで、食堂にての種明かしとなったのだ。テティの横にはヘンリックが座り「見てるだけで、お腹いっぱい」とこちらは甘いショコラをふうふう息をふきかけて、飲んでいる。
「力なんて求めればきりがないでしょ? 一つ魂をとれば、もう一つ、もう一つって歯止めが掛からなくなったんだよ」
「なるほど、強欲な金持ちが十分もっているのに、さらに金を貯め込みたいのと一緒か」
「そのうちなんのために金儲けしているのか、金の奴隷になってる」とマクシは皮肉る。それにグラムファフナーが「さらにある」と口を開く。
「捕らえられたテティと糸で繋がっていたとき、感じていたシビルの感情は猛烈な嫉妬だ。自分以上の魔女など許せないというな」
「あの舞踏会が切っ掛けだろう」とグラムファフナーは続ける。テティがタンサン夫人達の口をカエルの鳴き声でふさいだ。
「大賢者ダンダルフの弟子であること、テティの若さに美しさ、そのすべてにあの女は憤っていた」
例の月の姫君が犯人だという噂も、タンサン夫人の差し金であると判明しているとグラムファフナーが続けた。シビルがその嫉妬から自分と月色の姫君の評判を陥れようとしたのだろうと。
「まったく、女の妬心ってヤツは度しがたいねぇ」とマクシが言えば「あとこれは私の憶測に過ぎないが」とグラムファフナーは断り。
「タンサン夫人が容色の衰えを怖れたように、シビルも自分の魔力の衰えをひどく恐怖していたかもしれない。
三十年以上学長の地位にしがみつければしがみつくほど、その地位から降りたくはない。
だが、彼女も齢八十だ。いくら黒魔術でそれを補っていてもな。テティの言うとおり、力を吸い取れば吸い取るほどみなぎる己の力に酔ってタガが外れたのだろう」
さらには手札だったタンサン夫人は自ら始末したのだから自分で動くしかなく、テティの言う“暴食”の飢えから王宮内でメイドのイルゼに手をだした。
結局それがテティに魔女の正体に気づかせて、自ら墓穴を掘ることになった。
「いずれは自滅していただろうが……その死体は髪の毛一欠片も残らなかった。まさにこれぞ自業自得だな」
そうグラムファフナーは今回の事件を締めくくった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
とはいえ、魔法学園長であるシビルの死も、タンサン夫人の死も、その地位や身分のゆえに公に出来るものではない。
結局はシビルの死も病死とされて、中身のない棺桶が王都より魔法学園へと送られることとなった。学園長の葬儀だというのに、かなりひっそりとしたものが行われたという。
しかし、真実というものもまた噂となって流れるものだ。この二人の死に彼女達こそが魔女の正体だったのではないか? とそんな声が、社交界や町のあちこちでささやかれた。
魔法学園都市の学長はすぐには決まりそうにないという。シビルが三十年学園長に居座り続けた弊害で古い体制をそのまま維持しようとする長老達と、今こそ改革を! という若手が争いあっている状態らしい。
女達を襲った悪い魔女は、月色の姫君が女達の魂を解放したことでその力を失い。身体は灰となって消えた。その正体は不明と王宮から正式に発表された。
そして、月色の姫君は白き魔女にして聖女様だと、これもまた二人の黒魔女の噂話とともに、王都どころか、末端の村々までその評判は広がることになるのだけど。
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