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第8話 三年会議
毎夜の事件はなくなったが、女達は眠ったまま目を覚ますことはなかった。ささやかれる噂はいったん沈静化はされたが、それでも親しい者が戻らない日々は、王都にどこか晴れない薄い霧のような影を落としていた。
「こんな時に三年会議かよ」
王宮の車寄せにて、グラムファフナーの横に立つマクシがぼやく。獅子と一角獣の王家の紋が輝く門からは、彼の赤狼騎士団と王宮騎士団が、古式ゆかしい銀の甲冑をまとって左右に居並んでいる。赤狼騎士団のマントは赤、王宮騎士団のマントは深い蒼、それが翻る様は壮観である。
「前々から決まっていたことだ」とグラムファフナーは答える。
「延期などすれば逆に、王都の治安はどうなっている? と南のほうから突き上げがくるだろう」
南とは魔法学園都市のことだ。
「たしかにシビルのばあさんなら真っ先に宰相の失策だなんだと、言いがかりつけてくるだろうさ」
噂をすればなんとやらでもないが、車寄せに漆黒の馬車が停まる。その扉には銀と銀二つの鍵が交差する、魔法学園の紋章が刻まれていた。
扉が開き現れたのは、赤いローブをまとった魔法学園長シビルだ。出迎えたグラムとマクシを一瞥して「近頃王都は無駄に騒がしいようね」とひと言。案内の侍従長を先頭に王宮の中に入って行く。
マクシが苦々しく「さっそく嫌みかよ」とうなる。グラムファフナーには元から敵意を向けているシビルだが、マクシとは性格的に正反対で当然お互い嫌いあっている。
「しっかし、あの婆さんも変わらねぇな。学長に就任してから三十年、魔女ってのはああいうもんかねぇ」
シビルが学長に就任したのは五十代のとき、それから三十年なのだから人間としては相当な高齢だ。そして確かにその容貌は変わっていなかった。鷲鼻のいかにも気位が高そうな常に厳しい表情のままだ。
「そうか三十年もたっているのか」とグラムファフナーはつぶやく。そのあいだ彼らは毎月の円卓会議で顔を合わせてきたわけだが。
「それを言うならお前も私も欠片ほどに変わっていないがな」
「そりゃ、お前はエルフで俺は獣人だ。時の流れが人間とは違う」
「確かにな」
グラムは半分エルフであり、魔族でも名門貴族の血を受け継いでいる。その寿命は神々と同じくほぼ無限だ。
たいして獣人も三百歳の寿命をほこる。族長であるマクシは、さらにその三倍の千年はあるのだから、百年そこそこで二人の容姿が変わるはずもない。
「時々、人の時の流れと自分達の流れが違うことを忘れるな。若々しかったアルハイトがここ数年で急速に老いていった」
「ああ……」
神々の祝福を受けた勇者王はその髪や髭が白くなくっても、かくしゃくたる生気を放っていた。死ぬことを忘れたのではないか? とグラムファフナーもマクシも思っていた彼が、年々しぼみ、本当の意味で年老いて生気を失っていくのを、痛々しい思いで見ていた。
かつて旅をした仲間を失った、その二人はしばし遠い日に思いを馳せるように沈黙した。そして次に車寄せにやってきた、今度は白に銀の装飾のラーマ大神殿のモロドワ大神官長の馬車を出迎えたのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
月に一度の円卓会議とは別に、三年に一度、北の氷の城の領主、西の草原を統べる獣人の長。東の大神殿長。南の魔法学園都市学長が、勇者王の王城に集まる。これを三年会議という。
初日には会議はなく、到着の慰労のためのヘンリック王主催の名のもと晩餐会が開かれた。
そこでもシビルはグラムファフナーにちくちくと嫌みをたれた。王都の治安はどうなっているだの。勇者のお仲間二人と天下の赤狼騎士団がたった一人の犯人に手こずるなどよほどの者なのでしょうねと、これも目の敵にしているマクシも揶揄する。
さらにはグラムファフナーの婚約の祝いをわざとらしく述べて“話題”の月色の姫君にもお会いしたいと要求した。これをグラムファフナーは“内々のこと”として断った。
不穏な噂がただよっている今、月色の姫君を表に出すのはよくない。まして、グラムファフナーに悪感情をもっている相手なら、なにを仕掛けてくるやらわからない。
シビルは不快げに顔をしかめたが、しかし、グラムファフナーの横にちょこんと座るテティに、緑葉の瞳でじっと見つめられて大人しくなった。
どうにも気まずい晩餐会が終わったあと、グラムの私室であるサロンで「これが呑まずにいられるか」と棚から勝手にマクシが高い酒を取りだしながら。
「しかし、番犬ならぬ番クマだな」
「テティには言うなよ」
「俺もお星さまのロッドで殴られたくはねぇよ」とマクシは答えて、二つのグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
そのテティはヘンリックのためにパンケーキを焼いて、今頃一緒に仲良く食べているだろう。晩餐会の雰囲気の険悪さに小さな王様の食欲が減退して当然だ。
「まだ、足りないよね? ヘンリック食べたいものある?」と聞いたテティに、ヘンリックは元気よく「パンケーキ!」と答えたのだ。
テティはといえば、晩餐会のデザートまでしっかり食べていたが、朝からパンケーキを十枚食べるクマさんなのだ。ヘンリックと同じく自分の焼いたそれをもりもり食べているだろう。
あの小さなクマの身体には不思議がいっぱい詰まっているが、いくら食べても太らないというのもある。クマの皮をぬいだ本体は、がりがりに痩せているわけでもないが、ほっそりとしなやかなままだ。
大食漢と思えばそうでもない。普段はグラムと同じ量を食べていて、別にお腹空いたともぼやかない。
もりもり食べるときは魔力をたくさん使った日だとグラムは最近気づいた。あれの身体は魔力で出来ているようなものだ。食べることでそれをおぎなっているのだろう。
「しかし、シビルの婆さん相変わらずだったな。もしかしたら、俺達の顔も見たくないと三年会議もすっぽかすかと思ったが」
「さすがにそれは出来ないだろう。もしこの集まりに魔法学園が参加しないとなれば、私も宰相として、あちらへの“使節団”を派遣しなければならない」
使節団という名の監査だ。三年会議にかつての勇者の冒険の仲間であり、その後継たるものが集うのは、勇者王に各地が忠誠を誓っていると示す色合いが強い。
円卓会議において参加者は平等である。が、東西南北の領地はすべてグランドーラという一つの国であり、その領主は勇者王の家臣なのだ。
「シビル婆さんが三年会議を欠席してくれりゃ、そろそろ後進に学長の座をゆずっても……といい理由になると思ったんだがな」
「お前もなかなか人が悪いな」
グラムファフナーは苦笑する。たしかに三十年、学長の座に居座り続けるシビルに関しては、魔法学園のうちでも不満の声も大きいと耳にはしている。
「そうか三十年か」とグラムファフナーはつぶやいた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
王宮のメイド、イルゼは就寝時間後、今夜も空の寝台を確認した。明日も彼女の仕える小さなクロクマは、朝帰り決定のようである。
朝にはベッドの天蓋を開けば、愛らしい姿はそこにあって「おはよう」と言ってくれる。たまに朝寝坊されて、こそこそとお部屋に戻ってくるときがあって、そのときは「悪いクマさんですね」と叱るとうなだれてもじもじしている。そんな姿も愛らしくて、つい許してしまう。
真夜中テティがなにをしているのか。それは聞かないように、かなり最初の頃に宰相様からは言われているのだ。
王宮の廊下で向こうからお姿が見えて、脇にひかえていると、目の前に立ち止まられて、ひと言言われた。
「テティが夜に抜け出しても、どこに行っているか聞かないでくれ」
たしかに相手は不思議なクマさんなのだから、仕えるメイドの自分が詮索することではないかもしれない。
もしかして、宰相様の密命を受けて、テティ様は王都の悪を斬ってらっしゃるのかもしれない! と、その手の冒険小説を読むのが趣味のメイドは夢想する。
明かりの燭台を手に自分の部屋へと戻る。王宮の長い廊下で彼女は暗がりをよぎったものに、息を呑んだ。
「……若い娘、お前でもかまわない……」
キャアとあげかけた悲鳴は、その影がかかげた銀色の鳥かごに吸い込まれた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
真夜中、テティはぱちりと目を覚ました。グラムファフナーも同様。寝台から飛び降りて駆け出せば「二度目だな」とグラムファフナーに言われてうなずく。
月色の髪をなびかせてテティは駆け出した。
あのときはヘンリックの部屋にまっすぐ向かったが、今回の魔の気配はテティの部屋の近くの廊下だ。
「イルゼ!」
テティは倒れているメイドを抱き起こした。息はある、だけど魂が抜かれようとしている。まだ細いけれど、身体とつながっている。いまなら引き戻せる。
「待て!」とグラムファフナーの声が聞こえたけれど、テティはイルゼのひたいに自分のひたいをあてて、彼女の精神へと飛びこんだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
一瞬、世界は真っ暗になる。
やがて見えたのは薄ぼんやりとした明かりの数々。あれは魂だ。不気味な枯れ木の先につり下げられた銀の鳥かごに入れられている、若い女達の。
ふらふらと歩み寄ろうとしているイルゼの後ろ姿に、テティは手を伸ばして彼女の腕を捕らえた。
「あっちにいっちゃ駄目だ!」と引き戻す。
「逃さない!」
そんな声が頭に響いて、木からザン! とまっ白な髪の毛のようなものが伸びる。イルゼを捕らえようとしたそれを、テティは星のロッドを取り出して断ち切った。
しかし、その一房がテティの手首に絡みつく。テティは瞬間、顔をしかめる。すこし魔力を吸われた。
「ああ、なんて極上の甘い魔力、生気、若さ。お前さえいればなにもいらないわ」
恐ろしい声とともに木から再び飛び出した白いそれが、テティを捕らえようとするが。
「テティ!」
閉ざされた世界に響くグラムファフナーの声。テティが「グラム!」と応えれば、腕を掴んだイルゼごと引き上げられた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
パチリと目を覚ますと、自分をのぞきこむグラムファフナーの心配そうな顔があった。
横を見ればイルゼも「う……」と意識を取りもどす。
「イルゼ!」
テティが呼びかけると、彼女は開いた目をさらに大きく見開いて「テティ様……」とつぶやく。
今の姿は黒い皮を脱いだ姿だった! とテティが思い出すより早く、イルゼはテティに抱きついてきた。
「テティ様、テティ様、テティ様、助けていただいてありがとうございます」
「イルゼ、僕がわかるの?」
「はい!」
彼女の心に飛びこんで魂で触れあったのだから、わかって当たり前といえた。
「よかった」とイルゼと笑いあっていると「まったく、無茶をする」と頭上から降ってきた声。不機嫌と心配がないまぜになった表情のグラムファフナーにテティは「ごめんなさい」と首をすくめた。
「グラムが引っぱってくれて助かった」
「もう少し引き上げるのが遅かったら、お前も呑み込まれていたぞ」
それには「うん」とテティもうなずいて、彼にしては珍しく深刻な顔となる。
「相手はもうすっかり魔物と化している。捕らえられている魂もなんとか解放しなきゃ……」
「テティ様」とぐすりと感激に涙するイルゼをちらりと見て、テティはグラムの長い耳にぼそりと告げる。
「そうか、……の匂いか」
グラムファフナーもまた、テティにしか聞こえない声でつぶやいたのだった。
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