第1話 ぬいぐるみじゃない!

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第1話 ぬいぐるみじゃない!

     テティは銀の森に住むクロクマだ。  くるくるもこもこの真っ黒の毛皮に緑葉の瞳。お気に入りの赤のケープを星のブローチで留めて、木の実集めのカゴを手にご機嫌で森をお散歩していた。 「ん?」  木々が途切れてぽっかり開いた小さな花園の広場に大勢の人がいる。この森にはバケモノが棲んでいると人は近づかないのに。 「なにしてるの?」  彼らは鎧に身を包んだ兵士達だった。その足下で小さな花が踏み散らされているのに、テティは顔をしかめて訊ねると、一斉に振り返って一人が言った。 「なんだ、ぬいぐるみか」 「ぬいぐるみじゃない!」  テティは激怒した。なぜかそう言われると腹が立つのだ。たしかにテティの姿は人の腰に届くか届かないかの背丈しかない、姿はでっかいぬいぐるみであるが。  星のロッドを空中から取り出して、それを伸ばして言った兵士の頭を強打した。べこっ! と音がして鉄のかぶとがロッドの形のままにへこむ。飛び散るお星さまにひたいから血を流して倒れる兵士。めるひぇんなんだか悲惨なんだかわからない。 「なんだコイツ!」 「どうしてぬいぐるみが動いているんだ!」  そう、兵士達はまず最初にそれに気付くべきだった。ぬいぐるみがどうして動いているのか?   そのあいだにもテティは、同時に飛びかかってきた三人の兵士を、もっと長く伸ばしたロッドの一ふりで足払いをして転ばせた。次に突き出された複数の槍の穂先を、刃の無いロッドをぶんと一回転させて切断する。 「うわっ!」 「ぎゃあ!」 「俺の指がぁぁああ!」  ロッドのまとったかまいたちで指がぽろりと落ちた兵士が絶叫し、仲間の兵士がそれを慌てて拾い回収する。すぐに魔法薬をふりかければ指はくっつくだろう。ただ、複数人の指だから、間違えると他人の指になってしまうが、そのときはまた切断してくっつけ直せばいい。 「こ、こいつ、強いぞ」 「ぬいぐるみのクセに……」 「僕はぬいぐるみじゃない! テティ・デデ・ティティティアって立派な名前がある!」 「……テティ……大地母神の名前が由来か。よい名だな」  低い美声に振り返ると、太い木に寄りかかるようにして黒衣の男がいた。髪も真っ黒で長くて、瞳の色は黒。対照的に肌は青白いように白い。  そして兵士達と違って耳が長い、先がとがっている。 「エルフ? 虹の海の向こうにいったんじゃなかったの?」  テティを育て、すべてのことを教えてくれたダンダルフがそう語ってくれた。  その彼も海の彼方に消えて久しい。 「私は半分エルフの混ざりものでな。それだからここに残った訳ではないが。名はグラムファフナー・アロイジウス・ヴォルフ・シェーレンベルクという」 「ぐらむ…ふぁ……グラム?」 「グラムでいい、テティ」  「うん、グラム」とうなずくと「俺達を無視するなあ!」と声があがる。テティはどうでもいいと思いながら振り返る。  そこには周りの兵士とはちがって、かぶとのてっぺんに房飾りがついた髭の中年の男がいた。たぶん他の兵隊達より偉いのだろう。あとで兵士長の証なんだと聞いた。 「その男は国を乗っ取ろうとした叛逆の大罪人だ。関係ないお前はさっさとこの場を立ち去れ」 「…………」  テティは首をかしげた。銀の森の外に国があることは知っている。王様がいることも。 「それで叛逆したの?」  テティは緑葉の瞳でグラムファフナーの黒い瞳を見つめた。 「私はしていない。言っても、その者達には無駄だがな」  「この男の言葉など信用するな!」と房飾りが怒鳴る。その声にテティは首をすくめる。ちらりと真っ赤になってる男の顔を見てから、またグラムファフナーをじっと見る。  真っ黒な髪が額縁みたいに秀でた額を囲んでいる。その下の形の良い半月型の眉に、切れ長の黒い瞳。まつげも長くて、鼻筋も通っている。そして薄いけど形の良い唇。  はっきり言って。 「顔がいい」  ぽつりとテティが言えば、グラムファフナーが吹き出し表情を苦痛にゆがめた。みれば腕や脇腹など身体のあちこちに怪我をしている。  テティは星のロッドをするすると縮めて、両手で握りしめて呪文を唱えた。とたんグラムファフナーの身体がふわりとそよ風に包まれて、すべての傷口がふさがった。  ついでに切れていた服の穴もふさいでしまう。ほつれていたマントの裾も直し、全体的に薄汚れていたほこりも浄化しちゃったけどいいか。髪もますますつやつやになったし。  グラムファフナーがその切れ長の目を見開いて「ありがとう」と言う。「どういたしまして」とテティが答えて「えへ」と笑えば、それを見ていた房飾りかぶとの兵士が「敵の傷を治してどうする!」とまたわめく。  「うるさいな~」とテティは振り返る。そして、そのもこもこくるくるの毛皮に覆われた手を伸ばした。ちんまり丸い手からちょこんとつきでたのは、どうやら指らしいとグラムファフナーも兵士たちも凝視する。  その人差し指? は房飾りのひげ兵士長の顔をさしていた。 「お前、顔が悪いから、悪者!」  テティのこの宣言に、グラムファフナーが苦笑し、周りの兵士たちもプッと吹き出した。兵士長の顔が真っ赤な怒気に染まる。 「ええい! このぬいぐるみと反逆者も捕らえよ!」 「だから、ぬいぐるみじゃないって!」 「ふぎゃあ!」  とたん、グン! と伸びて振り下ろされたロッドがバコンと兵士長のかぶとに食い込む。昏倒した鎧に包まれた丸い身体を、四人の兵士が受けとめて慌てて後ろに下がる。 「お前ばかりに戦わせないぞ。せっかく傷を治してもらったのだからな」  グラムファフナーが傷ついた腕で握りしめていた長剣を持ち上げれば、それだけで兵士達が怯えたように後ずさり逃げて行く。  それにくるりとテティは振り返り訊ねた。 「グラムは強いの?」 「エルフだからな。人間の兵など普段ならば束になってかかってこられても歯牙にもかけぬが」  テティはそれにうなずいた。エルフは人間よりも遥かに力も魔力も強い。だけど。 「でも、怪我して囲まれていたけど?」 「油断した。暗晶水の毒を盛られてな」 「よく即死しなかったね」  すべての人型の種族の頂天に立ち、あらゆる毒が効かないエルフであるが暗晶水だけは彼らにとって猛毒だ。もっとも、あれはものすごく貴重で手に入れるのが困難だが。 「私は半分混ざりものだからな。死なずにここまで逃げてこられた」  グラムの言葉になるほどとうなずいて、テティは空を見上げた。太陽の位置からして、ちょうどお茶の時間だ。 「お茶をいかが? キューカンバーのサンドウィッチに木の実のタルトにスミレの砂糖漬けもあるよ!」  テティがぽふっとその黒いもこもこの毛皮におおわれた小さな手をたたくと、ぱあっと光がさして兵士達に踏み荒らされた広場が、たちまち綺麗に浄化される。回収し忘れた兵士達の指やら血糊も綺麗になって、元のお花が咲き乱れる花園に。  空中から自分用の小さな椅子と普通の大きさの椅子を出す。丸く低いテーブルも出して、そこにほかほかと湯気の立つポットに新鮮なミルクに蜂蜜入りピッチャーを載せた。それからキュウリを透けるぐらい薄く切りシンプルなバターだけのサンドウィッチ、木の実のタルトに、紫の星くずのようなスミレの砂糖漬けの瓶もとんと置く。 「これはこれは、豪華な森のお茶会へのご招待、このグラムファフナー・アロイジウス・ヴォルフ・シェーレンベルク。栄誉の極み」  グラムファフナーが、テティの前に片膝をつき、右手を胸の前にあてて、ナイトとして最上級の礼をとる。それにテティははにかむようにもこもこの両手を、これまたもこもこのほっぺに当ててから「ごゆっくり楽しんでくださいませ」と淑女(レディ)? ってこんなときこう返すんだっけ? と考える。  そして、空中からふわりとひらひらレースとお花の飾りがたくさんついた、ドレスみたいなエプロンを取り出して身につけた。  それを「愛らしい……」とまじまじと見て、グラムファフナーは口を開く。 「テティはテティ嬢なのかな? それともテティ氏なのか?」  その言葉の意味をテティは首をかしげて「ん」と考える。そして口を開いた。 「僕は男の子だけど、テティでいいよ」  そのあとは二人で楽しくお茶会をした。誰かとお茶を飲むなんて久々でテティははしゃいだ。 「そうかテティはダンダルフと二人で森に暮らしていたのか?」 「うん、でもダンダルフももうテティに教えることはなくなったって、虹の海の向こうに行ったよ」 「……そうか」  「賢者ダンダルフ、長らく消息は聞かなかったが……」というグラムファフナーの小さなつぶやきに、テティは首をかしげる。  彼はミルクのたっぷりはいったお茶を二杯、ゆっくりと飲んで立ち上がった。 「本当に世話になった、この礼はのちほどする」 「お礼なんていいよ。グラムは困っていたんでしょ? 助けるのは当たり前」  テティの言葉にグラムは軽く目を見開いて、ふわりと微笑む。「そうか。その心はとてもうれしい。だからこそ、必ず感謝の印はすべてが終わったあとに」との言葉にこくりとうなずく。 「では、さらばは言わない。また会うからな」 「うん」  長い足で歩き出した彼のあとを、テティがちょこちょこついていくのに、グラムが不思議そうな顔をして振り返る。 「森のはずれまで送ってく」 「そうか、重ね重ねすまない」  本当は少しでもお別れを先に延ばしたかったのだ。  しかし、あと少しで森の外というところで、またもやあの兵隊達が待ち構えていた。  今度はさっきの三倍の数で、よくも集めたものだ。  しかし、テティとグラムファフナーの前には、彼らはまったく歯が立たなかった。星のロッドが兵士達のかぶとをへこませ、長剣のひとふりで兵士達が数人吹っ飛ぶ。  直接攻撃は無理だと、今度は雨のように矢を射かけられたが、テティの風の魔法で矢の向きをくるりと変えられたうえに、グラムの闇の魔法の炎に包まれたそれが兵士達に降り注いで、彼らは「撤退! 撤退!」と伝令があがる前に、蜘蛛の子を散らすみたいに逃げ出した。 「僕、グラムについていくよ」 「いいのか?」 「放っておけないもの」  あの兵士達がまた襲ってくるかもしれない。グラムファフナーはふわりと微笑み「力強い味方だな、ありがとう」と言う。  そして、兵士達の残していた馬の手綱をとる。ひょいとテティを抱きあげて、鞍の前に乗せると自分はその後ろにひらりと乗る。 「行くぞ。とばすからしっかり掴まっていろ」 「うん」  馬は真っ直ぐに王都を目指して駆けた。
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