-3話

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「本当に来るかな」 『思い止まってくれてればいいけど……どうだろ』  私はじっと壁際の柱の物陰に身を潜めながら、優斗くんの方をみた。    "少し慣れてきたかも"と言う彼は地面に足はついていないが、私のすぐ横に付いて回れるようになっていた。  警戒してきょろきょろと周囲を見渡してくれている。 『怖そうな人が来るから、もっと奥に隠れて』  言われた側から足音が聞こえて、私は息を殺して身を潜めた。  黒いスーツを着たガラの悪い男の人がドアを開けて入って行く。ドラマでしか見たことないけど、"そっちの人"って本当にこういう格好してるんだなと妙に感心してしまう。   優斗くんに連れて行ってほしいと言われて来たのは、歓楽街にある怪しげな雑居ビルだった。  乗り込んだエレベーターには、胸元露わなお姉さんの写真が沢山写ってる店の広告や、聞いたこともない金融会社の名前が並んでいた。  私服に着替えてから来たとはいえ、学校関係者にこんな所に入ってくところを見られたら一巻の終わりだ。 『ああ、やっぱり来ちゃったか……』  暫くの間、物陰に隠れてじっとしていたがエレベーターの扉を見張ってた優斗くんが残念そうな声でそう言うのが聞こえた。  そろりと覗くと、例の人が見えた。  例の人とは、優斗くんと同じアイドルグループのメンバーである小田桐修司のことだ。  オープンカラーシャツにデニムという随分とラフなスタイルだが、高身長ですらりと伸びた手足がやたらと目を引く。  思い返せば、希に見せて貰う優斗くんの画像や映像にはいつも隣に彼がいた。    『修司がカチコミに行くのを止めたい』と優斗くんが言い出したときは、この子何言ってんだと思った。  死後、幽霊になってすぐ優斗くんは長年の付き合いのある彼の元へ行き数日間ついて回っていたそうだ。(希がきいたら、絶対「なにそれ、マジで尊いんだけど!」って言いそう)  話し掛けてもなんの反応もなく、触れてみようとしても腕は空を切るだけ。  途方に暮れていると、かつての相棒がスマホの画面であれこれと調べ尽くし、このいかがわしい場所を突き止めているのがわかった。 『あのひと、昔から変なところで勘が働くんだよ』  優斗くんが腕を組んで唇を尖らせながらそう言っていたのを思い出す。 『お願いだから、とめて! 今すぐに!』  相当焦っているようで、優斗くんが勢い余って目の前の壁にめり込んでいる。 「待ってください‼︎」  私は咄嗟に弾けるような勢いで飛び出して、小田桐さんの前に両手を広げ立ちはだかった。  彼は驚いた様子で目を見開いて、私と正面からぶつかる一歩手前で足を止めた。 「えっ、誰?」 「とりあえず、こっちに」  腕をぐいぐいと引っ張って柱の陰に引き摺り込む。  即座に優斗くんが『ちょっと様子見てくる』と言ってふわふわと廊下の奥へ消えて行った。 「あんた、学生か。こんなところで何してんの」 「事情があって……少し黙っててもらっていいですか」  目の前にあるドアの先には恐らく、こわーいおじさん達が集まっている筈だ。極力物音を立てずにこの場を抜け出したい。  小田桐さんの口元に人差し指をかざしながら、私は横目でドアを睨んだ。 『今、誰もいないから大丈夫』  引き返してきた優斗くんがそう言って手招きする。私は小田桐さんの腕を掴んだまま、優斗くんの後に続いた。  ボタンを何度か繰り返し押すと、目の前の扉が開いた。すかさず人間二人と幽霊一人でエレベーターに乗り込む。 『監視カメラの映像は潰しておきました』 「そんなことできるの?」  何もない斜め上を見上げて突然喋り始めた私を見て、小田桐さんが怪訝そうな顔をする。  視線に気付いた私は、気まずくなって目を逸らした。  3階で停まったエレベーターの扉が開いて、中年の男がおぼつかない足取りで乗り込んできた。  お酒のにおいが充満して、相当酔っているんだなとわかる。 「ずいぶん若いねぇ、どこのお店の子なのぉ」  顔を覗き込まれてたじろぐ私と、赤ら顔のおじさんの間に無言で小田桐さんが割って入る。  長身の男に見下ろされて怯んだのか、おじさんは途端に黙り込んだ。 『これはガチ恋案件ですねぇ』  ふふふと笑う声が降ってきて、優斗くんを恨めしい目でみる。  1階に着くと私の背を押して降りるように小田桐さんが促してくる。建物の外に出るといかにも面倒くさいって顔で私に向かって追い払うような手つきをした。 「子供が来るような所じゃねぇぞ、さっさと帰んな」 「あなたが帰るまで帰りません!」 「……何がしたいんだよ」  溜息混じりに彼はそう吐き捨てると、踵を返してビルの中へ戻ろうとする。 「わたしっ、見えるんです……優斗くんの幽霊が‼︎」  咄嗟に追い縋ると、途端に彼がこちらを鋭く睨みつけてきた。ここまでくると引き下がる訳にもいかず、私も睨み返す。 「おい、冗談でも言っていいことと、悪いことがあんだぞ」 「冗談なんて言ってません」 『あっ、やばっ』  黙って見守ってた優斗くんが急に声をあげたと思ったら、ふわっとその身体が浮き上がる。  焦った顔をした彼はビルの軒下に身体が収まるように手足をばたつかせていた。 『ピンキーリングの話をして』 「ピンキーリング!」  背後から抱きつくような姿勢で引き止めながら、私は大声で叫ぶ。 「練習生の頃にお揃いで指輪買ってますよね⁈」 「急に何の話だよ」 「裏側にお互いのイニシャル彫ってもらったんでしょ」  それを聞いた途端に背中がぴくりと小さく跳ねた。 「変な勘違いされそうだから絶対誰にも言うなって言われたって」 「…………」 「しかもイニシャル"Y"なのに間違えて"V"になってるって」 「………なんで知ってる?」 「いま、目の前にいるんです」  微かに息を呑む音が聞こえた。抱き止める腕にたしかな温もりを感じて、私はなんとなく考えてた。  会いたいのにもう二度と会えない人が、今、目の前にいるって一体どんな気持ちなんだろうか。  彼のことが見えるのが、私なんかじゃなくて彼ならどんなによかっただろう。 『うーん…秘密兵器だしちゃおっかな』 「……骨格ウェーブのミキちゃんのことばらすぞって言ってます」 「そ、それはマジで勘弁して‼︎」  がばっと勢いよくこちらを振り返った小田桐さんと目が合う。  音を立てず舞い降りてきた優斗くんが小田桐さんの肩に触れようと腕を伸ばす。けれど触れることは叶わず、その手はただ虚しく空を切った。  小田桐さんの大きな手が私の肩を掴んで、此方を覗き込む彼の瞳に私の姿が映った。 「……いるんだな」  私を見据える瞳にいつの間にか涙の膜が張っていて、私はただぼんやりと"ああ、こぼれ落ちそう"と思った。 「いますよ、凄く近くに」 「あいつ、なにかと戯れてくるんだよな」  見えていない筈なのに小田桐さんが手を伸ばして、その掌が静かに優斗くんの腕に重なったように見えた。  前に希が「優斗くんと修司はね、ツートップって呼ばれているんだよ」と言っていたのを思い出す。 「話したいことがあるんです、聞いてくれますか」
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