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少しだけ遠回りをしてくれたけど、私の願いも虚しく、車は自宅のすぐ近くへとたどり着いてしまった。
「これで、もう最後か」
「いえ、希と一緒に来月ライブに行くから最後じゃないですよ」
「そうか……秘密を教えようか」
なんですかと尋ねると、小田桐さんはドリンクホルダーに無理やりねじ込んであった台本を引き抜くと、背表紙の端を破って何かを書き留めた。
「当日ここにおいで」
「……希も連れて行っても、大丈夫ですか?」
恐る恐る尋ねると、小田桐さんは口元を綻ばせる。
「もちろん。優斗と夏美を結びつけてくれたのは、彼女だもんな」
思えばその通りだった。
希の優斗くんを想う気持ちが、彼を私の元へ導いてくれたと言っても過言ではないと思う。
「あの、もうひとつお願いがあって」
「なに?」
真正面に彼と視線を交わすと、私は言葉を続けるのを躊躇った。
これを言うのはとても気が引けたが、このまま黙っておくわけにもいかない。
「ライブの日に会えたら……優斗くんがここにいたって事を、みんなに伝えてもいいですか」
小田桐さんの瞳の奥が揺れて、動揺しているのがわかる。
「でも、そうしたら誰からも見えなくなるんだろ」
「……私も含めて」
自分の声を聞いて、心臓をきゅっとつかまれるような心地がした。
それと同時に、優斗くんがそれを望むなら叶えてあげたいという思いも、たしかにこの胸の内にあった。
「そうしたいって思えたの、あの時、非常階段から下を見下ろすあなたを見たからなんです」
「………」
「あれが最期だと思われてるのは、あまりに寂しいって思って。今日、安西さんの話を聞いてその気持ちがもっと強くなったんです」
「……そんな風に、思ってくれてたんだな」
『俺からも、お願いしたい』
助手席にいる優斗くんもぴんと背筋を伸ばして小田桐さんの方へ向き直すとそう言った。
「優斗くんも、そうしたいって言ってくれてて」
助手席を見つめたまま、小田桐さんは口を噤んだ。
私と同じように離れたくない気持ちと、見送ってあげたいという気持ちの狭間で揺れているのが手に取るようにわかった。
「……よくメンバーに"お前は子離れできてない"ってふざけてからかわれてたけど、本当にその通りだったのかもな」
『………修司』
「わかったよ。みんなに、ちゃんと伝えよう」
小田桐さんがこちらを見る。
その目に、もう迷いの色はなかった。
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