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「まだ時間あるけど……どうする、なんか食べてから向かう?」
希の問いかけに私は首を横に振った。
「ライブ前にどうしても寄りたい所があって、一緒に行ってくれる?」
「どこでも行くに決まってるじゃん!」
私の両手を握って楽しそうにぴょんぴょん跳ねる希に笑いかけて、私はそのままその手を引いた。
「え、もう入るの?」
問いただす事もなく黙って着いてきてくれた希が、会場のドームを目前にして尋ねてくる。
「中でも食べ物買えるしねー、ドーム来るの久し振りだから見学して周ろっか」
楽しそうにはしゃぐ希に曖昧な相槌をして、2人でドームの中に入ると、私はバッグから小田桐さんから預かった切れ端のメモを取り出す。
書かれている場所へと向かうと、通路の奥のエレベーターの前に辿り着いた。
「……2階に行くの?でも、うちらの席、アリーナだよ」
「希にどうしても会わせたい人がいるんだ」
エレベーターに2人きりで乗り込むと、階数が書かれているボタンとは離れた位置にある数字が何も書かれていないボタンを長めに押す。
「夏美、どこ押してんの!」
「いいから、いいから」
ふざけていると思ったのか、希が私の方を見ながらお腹を抱えて笑い出した。
エレベーターが静かに上昇し始めて、階数表示のある2階を通り過ぎてさらに上の階へ昇っていく。
「え、これ大丈夫かな? どうしよう」
途端に慌て出した希が、私の肩に手を乗せる。
「前に夏美と買い物に行った時にさ、間違えて最上階の高級レストランの階のボタン押しちゃったの覚えてる?」
「ああ、あったねぇ」
「場違いすぎてあの時めちゃくちゃ焦ったけど、またあの時みたいになるよ、きっと」
「テンパって1階のボタン凄い勢いで連打したよね」
「あれは笑ったな……」
希がそう言った瞬間、エレベーターが停まって目の前の扉が開いた。
笑いながら1階のボタンに手を伸ばそうとする希の腕を掴んで、ゆっくりと顔を上げる。
目の前にふと影がおりて、左右の扉に大きな手が掛けられた。
「迷わなかったか」
希が顔を上げた途端に「わっ」と思わず声を上げる。
にやりと笑う小田桐さんをみて、私はメモを鼻先に突き出す。
「地図の絵がちょっと下手でしたね」
「相変わらずだな」
唐突すぎて事情が飲み込めずすっかり硬直してしまっている希の背を押して降りるように促す。
「えっ、なに⁈ どういう事なの」
「なっつん、久しぶりだねー」
「声がデケぇよ……」
いつもの調子で人懐っこい笑顔を浮かべて歩み寄ってくる松田さんと、やれやれという表情で苦笑する橘さんの姿を見て、希はとうとう混迷を極めた様子で目を白黒させながらこめかみに手をやっている。
「はじめまして」
見兼ねた小田桐さんが希に向かって挨拶をする。
こちらが見上げるほど長身の彼に穏やかな眼差しで見詰められ、それまで呆気に取られたような顔をしていた希の顔がみるみるうちに赤くなる。
「は、はじめまして」
「希ちゃん、だよね!」
横から元気いっぱいな松田さんの声がして、希は口元を両手でおさえながらこくこくと頷いた。
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