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スギナ
「いてて! 畜生!」
私は、自転車を止めて休んでいた。私は、自転車のスタンドを立てて、その空き地に座り込んだ。リハビリがうまくいかない。膝が痛い。
呼吸が苦しい。私は、体がこわばって痛い病気を患っていて、動かさないと、体がますます、固まってしまう。だから、リハビリで、いろいろ動かしていないといけない。まったく不治の病ではない。治る可能性もあると聞いている。
少しでも楽にならないかと、自転車で走る時間を三十分から一時間にしてみた。ダメだ。消耗ばかりしてる。ちっとも、病気が良くならない。
空き地に面した道のアスファルトに猫がゆっくり歩いてきて、ごろーん、ごろーんと、背中をこすりつけるようにして、左右に転がっていた。猫は目を細めている。
いいなあ、私はため息をついた。私は床に仰向けに寝られない。背骨周りが強張り過ぎて、痛いのだ。ごろーん。ごろーん、なんて、もってのほかである。
猫はちらっと、私の方を向いて、起き上がると、そそくさと、どこかに行ってしまった。
私の目つきがきつくなっていたのだろうか。
「はあ……」
「おーい!」
私はあたりを見回した。猫も何もいないのだが。ああ、猫はしゃべらないか。
「こっちだよ!」
「ん???」
「こっちだよ。お前が手をついてるそばの、ク、サ、だよ」
私は、火傷でもしたように、手を地面から、引いてそこを見た。
針葉樹みたいな草がある。
「おー! こんちは!」
また、植物に話しかけられているのか? 植物と話したのは、数か月前のイチョウ以来だった。
あるきっかけで、私は植物と話せるようになったのだ。
「イチョウの爺さんが、心配してたぞ。『ちょっと、メンタル弱めの奴に、重い話し過ぎたかもしれん』って。『お前くらいシンプルな奴の方がフォローにいいかもしれん』とか言ってさー。でも、おいらが出てくるまで、数か月あるんだぜ? もっと、早く出てくる、ほかの奴に頼めよなー」
「あなたは?」
「植物界の最強の存在! スギナだよ! 胞子飛ばす時のツクシの方が有名だけどな!」
「ツクシなんですか!」
「そそ。今は、葉っぱモード」
「イチョウさん、心配してくださってたんですか。みなさん、優しいですね」
「イチョウの爺さんも、悪い奴じゃないんだけど、神社で人の祈りや悩みを聞き過ぎてるから、いちいち、言う事が重いよなー」
「あの話聞いてたら、なんか、いろいろ考えてしまって」
「気にすんな! 災害も戦争も、お前なんかができることないだろ? 自分がやれることやれよ!」
「そうではあるんですけど、自分がやれそうなことをやってても、うまくいかなくて」
「お前、頭、硬いなー。体も心もできる範囲で、自由でいいんだぞ? 想像の中だったら『海賊王に、俺はなる!』とか、なんとか言って伸び縮みしようが、何しようが、いいんだぞ!」
「どこで、そういうの覚えるんですか?」
「草むらに、捨ててあった漫画の本だ! 人間って、変な所にいっぱいゴミを捨てるのな。ほかにも、女の人の裸の本とか、あったぞ!」
私は思わず笑ってしまった。あれ? もう何年も笑ってなかったのに。あくびですらできなくなっていたのに。
「……あの最強って何ですか?」
「最強は、最強だ!」
「いや、それじゃ、わけわかりません」
「最強伝説、その一! おいらの仲間は三億年前から生きてた! 石炭紀の巨大シダ植物って奴なんだけど! 今は、こんなんだけど、おいらの仲間は、当時は、巨大だったんだぞ! それで分解されないで土に溜まった奴らが石炭になった! 産業革命とかいう奴の原動力になったんだっけ?」
「え?」
「最強伝説、その二!」
「まだあるんですか?」
「失礼な奴だな。その二! 広島の原爆のあとに、いち早く芽を出して人々を元気づけた!」
「えー?」
「えっへん!」
「なんで焼けなかったんですか?」
「焼けたさ! 上は!」
「上は?」
「上は焼けたけど、おいら地下茎(ちかけい)の張り巡らし方が凄いのよ! 地下六十センチとか、深ければ、二メートル行く事もあるぞ! そして、どんどん横にも広がる!」
「原爆のあとすぐ復活するのは、確かに最強ですね……」
「おう! 深く根を張れるフィールドがあれば、大概の事は大丈夫だあ!
取っても、取っても、出てくるから、おいらたちのことを地獄草とかいう奴もいるぞ! 地面を、耕せば耕すほど、地下に潜る性質があるから、おいらは農家にも嫌がられてるな! でも、それが、どうした! 俺は最強だあ!」
「ほんとに最強ですね」
と私はいいつつも、「最強」を連呼する、スギナの単純さに、ちょっと笑ってしまった。
「お前! 今、俺を単純馬鹿だと、笑ったな?」
「い、いや、そんなこと思ってないですよ!」
「おいらたちは、ただ、存在する。無心の達人だ! まあ、無心なだけでもないか! 化学物質の変化でいろんなことがわかる! 植物同士や昆虫とだって、連絡を取り合ってるんだぞ! キャベツとかに聞いてみろ!」
「は? キャベツ?」
「人間は「木石(ぼくせき)じゃあるまいに」とか、植物や石をバカにした言い方するけどな! 植物や鉱物から、どれだけたくさんのことが、わかると思ってるんだ! 物質がなきゃ意識さえ宿らないんだぞ! まあ、難しい事はいいや! お前、ほんとに、いろんな事、ごちゃごちゃ考えてるだろ! 猫を見習え!」
怒ったスギナが、よくわからないことをまくしたてはじめたので、私は、言葉を失った。
「お前、物凄く、何かになろうとしてるだろ。健康になりたいとか、強くなりたいとか。二十四時間そんなことばっか! そして、それを止める事ができなくなっているんじゃないか? 無心に存在することも大事なんだぞ! 吸収することよりも、置いていくことが大事なこともあるし、集める事よりも、空っぽにすることによって、得られることもあるんだ!」
「……え?」
「目を……閉じるんだ…… フォースを感じるんだ!」
「は?」
「お前、ほんとに頭硬いな! 冗談もわからないのか?」
「いったい、どこで、そういうの覚えるんですか?」
「スギナは、今度は、ゆっくり、穏やかに言った。」
「いいから……目を閉じるんだ……」
「私は目を閉じた」
「……おいら達は、あの地獄の業火の中、こんな感じで、じっと芽を出せるチャンスを待っていた……」
焦土と化したヒロシマの地面の下で、静かにスギナが、 待っている姿が見えたような気がした。私は、今度は、スギナの言うことを素直に聞けた。
「呼吸に意識を向けて……深呼吸する必要は無いぞ。ただ、呼吸で空気が喉や肺を行ったり来たりするのを感じるだけでいい。姿勢も楽にしていいぞ。自分の好きな恰好でいい」
「ふっ……ふっ……」
私は呼吸した。
「深い呼吸がいいなんていうけど、無理しないでいい。つぎに、体に意識を向けてみな。体について考えるのとは違うぞ。
体の温かさ……お前、体が痛いって言ってたし、体が強張ってる(こわばってる)感じだから気血(きけつ)の巡りが悪そうだな。体が熱かったり、冷たかったり、柔らかさや強張りを、ただ、感じるんだ。無理やり、リラックスしようって執着するのとも違うぞ。痛みが酷過ぎる(ひどすぎる)なら、痛い場所に意識を持っていって、その痛みと一緒に呼吸しながら痛みの変化を感じてもいい……
考えるな…… 感じろ……
それでも、ごちゃごちゃ考えるようなら、呼吸の数を十、数えて、十いったらリセットして、また一から数えるのを繰り返してみろ……」
「ふっ……ふっ……」
私は呼吸を続けた。
「ふー……ふー……」
ただただ、呼吸に意識を向けた、どのくらい呼吸に意識を向けていただろうか。意図していないのに、眠っている時のように、呼吸が深くゆっくり規則的になってきた。不思議だ。ガチガチだった体が少し緩んで、楽になった気がした。詰まっていたような目の奥の違和感も少し、あたたかい血が巡ってきて楽になった気がする。
「ありがとうございます……なんだか……少し体が緩みました。リラックスしようと思っても、全然できなかったのに」
「ほんとに、これをきちんとやる気だったら、ちゃんと人間の師匠につけよ! フォースも呼吸法も、深いことをやればやるほど、暗黒面に堕ちないように、師匠が大事だ! ストレスが溜まり過ぎてる奴とか、執着が強過ぎる奴とか。そういう奴が下手なやり方でやると、ヤバイ領域に行っちまう奴がいるからな」
「なんだ、なんだ?」と、私は思った。スギナは本当にフォースの達人みたいな事を言いだした。
「…スギナさん……スギナさんは、いったい、どこでこんなことを覚えたんですか?」
「うーん? なんか、ここでときどき太極拳やってる爺ちゃんに話しかけたら教えてくれた(笑)。爺ちゃんの話、聞いてたら、おいらたちの境地と似てるなあって思った。あ、元鍼灸師(もとしんきゅうし)だそうだ!」
「境地が似てるって……それでも……ただ……聞いただけで、あれを習得したんですか? スギナさん……あなた、いったい、どうなってるんですか?」
「お前、俺の事をただの単純馬鹿だと思ってただろう! だから、言ったろ? 俺は最強だって! ちゃんと尊敬しろよっ!」
なぜかわからないが、そのすぐあとに、さっき逃げていった猫が、またアスファルトにやってきて、背中をごろーん、ごろーんとやり始めた。
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