カラスウリ

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カラスウリ

電車の音が聞こえた。  ずっとずっと眠れなくて、気がついたら、私は変な所にいた。  夜、谷筋に通っている線路の傍まで来て、金網に手をかけていたのだ。そこを登って、飛び降りれば、下の方を通る電車へ…… 「やめときゃいいのに……」  私は辺りを見回した。誰もいない。 「やめときゃいいのに……」 「幻聴か……当たり前か、私メンヘラだし」 「幻聴じゃないよ。私は、あなたの目の前にいる、白いレースの布みたいに繊細で幻想的な美しいお花だよ」 「え? え? え?」  私は、その金網に絡まって生えているツル性の植物を見た。花が咲いてるなんて気づかなかった。 「私、何としゃべってるの?」 「だーかーら! レースの布みたいに繊細で最高に幻想的な美しいお花だよ。大事な事だから、二回言って見た」  言葉だけじゃなくて、笑い声まで聞こえた。 「花がしゃべるの? 私、もうダメかもしれない」 「何を今さら。まあ、やめとけば? ここ汚いよ?」 「汚い?」 「谷底を電車が走っているけど、上からゴミが捨てやすいんだよね。ペットボトルとか、生ごみとか、信じられないものが捨てられる。酷い時は、石とか」 「石? それは犯罪じゃない!!」 「石よりもでっかいものを落とす人もいるね。自分の体とか。石もヤバイけど、飛び込みも変な所で電車を急停車させなきゃいけなくなるから、乗客も凄い危険。  散らばった死体を線路で拾い集める人たちも、危険だし大変。  切断された手足、頭、場合によっては脳みそなんか、箸みたいのもので拾い集めるんだけど、拾い集めてる人の感情の無い顔って、見ものだねー。  電車に飛び込んだら、ぽんと死ねると思ってるみただいけど、体がずたずたなのに死に切れなくて動いてる人も見たことある。あれは、苦しそうだったよー 」  な、なんで、花がしゃべってるの? 「この幻聴……凄く混乱する」 「だから、幻聴じゃないんだってば」 「ちょ、ちょっと待って、まず、あなたは何なの?」  カラスウリと呼ばれてる植物よ。うーん、わかりやすくいうと、カラスウリの妖精って所? あ、なんか、人間界には梨の妖精もいるんだってねえ。    カラスウリは、また笑った。 「なんで、そんなこと知ってるの」 「ん? 退屈しのぎに話せそうな人間に話しかけたりするから」 「頭おかしくなりそう」 「そうよねえ。自殺しようとしてたんだから、頭おかしいよねえ」 「なんだか、あなたと話していると調子が狂う」 「調子なんか、もともと狂ってるんだから、気楽にしゃべったら? ただ、あなたに危害を加えるつもりも無いし、私は、そういう能力も無いから、そこんところは、よろしく」  危害……夫だった男に、怒鳴られ、殴られたりしていた時の事を思い出してまた、金網をよじ登りたくなった。二十四時間営業の暴力。ようやく夫と別れたのに……  今度は、二十四時間営業の心の病。 「なんでまた、死のうとしてるの? 変な男にでも引っかかった?  私は、きっ!と、カラスウリをにらんだ。 「おお、怖い怖い! 図星かー!」 「……ほんとに酷かったのよ。蹴られて、肋骨を折られた事もあったけど、心の方も、あちこち複雑骨折って感じ」 「屑だねえ。そんなことする男も病気なんじゃないの?」 「そうね。あんな屑だとは思わなかった。面食いな私が、大馬鹿だった。もう男はたくさん!」 「…………ねえねえ、私がなぜ夜咲いてるかわかる?」  カラスウリが、ふいに話題を変えた。  電車が走り抜ける音がした。 「…………ねえねえ、私がなぜ夜咲いてるかわかる?」  そういえば、この花は、夜なのに咲いている。  私は、そのことに、ようやく気がついた。 「夜、活動してる虫たちもいるんだよ。私たち、そいつらに、花粉を運んでもらってるんだ。植物にとってのパートナーって、ちやほやされる、綺麗な蝶々だけじゃないのさ。  月下美人なんか――ああ、でっかい綺麗な花を夜に咲かせるサボテンなんだけどね。本当に綺麗だよー。死ぬ前に、一度見てみたらいいのに。 あれは、コウモリをパートナーにしてる。  世界は広いんだから、愛し合える人がいないって決めつけるのは、まだ早いんじゃない?  馬鹿も多いだろうけど、いい奴も絶対いるって!  私、地面に芋みたいなものがあって、栄養を蓄えてるから、相当しぶといっちゃあ、しぶといんだけど、でも、まあ、環境悪くなって、どうしようもなくなったら、枯れる。当たり前だけど、それは運命だよね。人間も、いつかは死ぬ。  でも、あなたは、まだ、枯れる時じゃない気がするんだよね。遅かれ早かれ生命はいつか終わる。それまで、楽しまなくちゃ。  酷いことした奴に対する、最大の復讐は、幸せになることだってよ?」  カラスウリは、また、けらけら笑った。 「もう! 簡単に言うけど……あなた綺麗な花なのに芋ができるの?」 「私のは、人間が食えるような芋じゃないけどね。『芋』って言葉、人間はイケてないって意味で使うみたいだけど、ジャガイモなんか、本当に綺麗な花が咲くよー。 マリー・アントワネットが、ジャガイモの花を飾りにしたくらいだからね。 見ようとしていないだけで美しいものは、あなたの手に届くところに、たくさんある気がするんだけどな」 「カラスウリさん……」 「花じゃないけど、パキラなんか育てたら? 私が話し相手になってあげてもいいけど、いちいち、ここまで来るの大変でしょう?」 「パキラ?」 「お店で普通に売ってる観葉植物だよ。花じゃないけどさ。あいつ、割合、信念のあるナイスガイだよ。ちょっとくらいなら、水やり忘れても、大丈夫だし。私みたいに口悪くないし。  老人ホームのお婆ちゃんに植物の世話させると、元気になる人が増えたなんて、研究があるらしいよ?」 「もう! 私は、お婆ちゃんじゃない!」 「死のうとしてた人が、そんなことを気にしてる! ……………………乗っ取られ感で、わーっとなってる人には、意外な話しかけ方をすると、それがきっかけで、衝動が止まる場合も、まれにあるんだってね」 「え? なぜ、そんな……」   私は、思わず言った。 「患者を救えなかった医者と話したことがあるんだ……私が人間だったら、抱きしめてあげられるのに……辛かったね……」  何よ、もう! 私は……カラスウリの手の平で踊らされてたってわけ?   隙間無い優しさの包囲と攻撃を受けているような気がして、嬉しさなんだか、怒りなんだか、わかんない感情が溢れた。どうしようもなく凍っていた感情が、決壊した。こんなの反則だ!   「カラスウリさん、もう! もう……! もう…… うっうっうっ……」  最後にカラスウリが言った。 「秋が深まったら、私も鳥の卵くらいの真っ赤な美しい実をつけるから、また見に来てくれたらうれしいな」
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