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 パンティーロード。住宅街に面するあの道路を、一部の界隈でそう呼ばれているらしい。上司からそう聞いた。俺は営業職で、初めてその周辺のエリアを担当にすることになったのだが、そこで昨日の出来事だ。俺がそのことを話すと、上司は「パンティーロードに行ったんだな」とまるで風俗に行ってきたんだな、みたいなにやけた顔で言ってきたのだ。 「あの道路沿いのマンションの四階に住む女、名前は知らんが、かなりドジでな。洗濯物を干すとき必ずといっていいほどパンティーを落とすんだよ」 「まじっすか。てか女性が外でパンティー干すのもどうかと思いますけど」 「そこなんだ島崎。その女はドジだけじゃなく天然なんだ。最初そのパンティーを拝みに来るおっさんで溢れてたんだが、途中からはいかに落ちてくるパンティーを拾うかがおっさんたちの間で競争になってな」 「だからあんなにおっさんが湧いてたのか」 「そういうことだ」 「鳩野さんはあの女のパンティー拾ったことあるんですか?」 「俺はねえよ。俺の守備範囲は50~70だ」  そんな上司との話を思い出しながら俺は再びあの道路に向かっていた。もちろん、メインの目的は営業だ。だがあの道路を通過することは、仕事へのモチベーションにも繋がるので、まあ大事だ。  五分ほどして、俺はパンティーロードに到達した。最初に目がいったのは、湧いたおっさんたちだ。六人もいる。俺も含め、物好きの集まりだなと苦笑したくなった。  それから例のマンションを見上げる。築はそんな経ってないのか比較的綺麗なマンションに見えた。そこの四階に、あの女がいた。昨日と同じ二時くらいに来たので、決まった時間に洗濯物を干すらしい。今は短パンを干している。  下にいるおっさんたちが気にならないのか、と疑問に思いながら俺はマンションの下を通過する。しかしパンティーは落ちてこない。まあ当然といえば当然で、昨日はただの偶然であり、それが連続するなんていう期待を抱く方が馬鹿なのだ。  俺は腕時計で時刻を確認する。まだ余裕があった。少し迷った末、俺はバックし、おっさんたちと混ざって、その時が来るのを壁に(もた)れて待つことにした。  もう一度マンションを見上げ、女を眺めた。昨日パンティーを返す時にも思ったことだが、やはり可愛いすぎる。ウェーブのかかったアッシュのセミロングは一見遠目で見たら可愛いというより綺麗という印象を抱くのだが、間近で見た時にその印象はひっくり返された。くりっとした大きな瞳が脳裏に焼き付いている。小動物を連想させるが、かといって身長はそこまで低くなく、多分160センチといったいところだ。  だがそれよりも刺激を受けたのは、外に出てきた女の無防備な姿だった。パンティーと同じ淡いピンクのキャミソールと短パンで出てきて、俺は下半身が反応するのを抑えられなかった。おまけに反則級の巨乳。一体何者なんだあの女。  俺は女の裸体を想像し悶々としていると「おお、兄ちゃん」と横で声がした。そちらを向くと、小太りのおっさんが俺の目を見て手を上げていた。 「昨日はファーストパンティー、おめでとうやな」 「えっと……」全くもって理解できないおっさんの関西弁に俺は返事を窮した。 「あ、すまんすまん。俺は岡部っちゅんや。よろしく」 「いや、そうじゃなくて、ファーストパンティーってなんですか」  すると、岡部とかいうおっさんは少し驚いた顔をした。 「なんや兄ちゃん、知らんとミス・パンティーのファーストパンティー取ったんかいな」 「ミス・パンティー?」  更に訝しそうにする俺を見てか、おっさんも更に驚いた顔をした。 「兄ちゃん、ほんまに何も知らんのか」 「俺はあの人が毎日パンティー落とすから、それを男の人たちが必死で取り合ってるってことしか」  俺は上司から聞いた情報を掻い摘んで話した。 「まあ、そういうことなんやけど、大事なことを知らんみたいやな」 「大事なこと?」 「せや。まずあの子なんやけど」岡部がマンションを見上げる。「彼女はミス・パンティー。知っての通り、毎日パンティーを落とすことからそう呼ばれるようになった。職業は不明やが、水商売ちゃうかって言われとる。夕方くらいに出かけて、朝に帰ってくることが多いらしいわ。夜勤の看護師ちゃうかって言う奴もおるけど、俺からしたらそんなんどうでもええ」  あの容貌からしたら水商売かもな、と俺は思った。だとしたら彼女目当てで店に訪れる客も多いだろう。どういった店かは分からないが、俺も行ってみたい。 「大事なのは……」岡部が改まった口調で言う。「ミス・パンティーのパンティーを三回拾ったら、ミス・パンティーにキスをしてもらえるっちゅうことや」  もしかしたらこのおっさんはパンティーを言いたいだけなのでは、と疑いたくなるほどの頻出度だった。 「なんですか、そのお得キャンペーンみたいなシステム」 「最高やろ?」 「いや、まあそれが本当ならうはうはですけど、さすがにないでしょ」  三回パンティーを拾ったらキスしてもらえる。それで一回目の俺にファーストパンティーと言ったのだろう。だが、そんなギャグ漫画みたいなこと起こり得るのか。 「でも、気になれへんか?」岡部がスケベ顔で聞いてくる。 「んーまあ……てかいるんですか? 今まで三回拾ってキスしてもらった人」 「かつて一人おるらしいわ」 「まじっすか?」  いないだろうと思っていたので驚いた。 「三か月前、SNSで見かけたんや。ミス・パンティーのパンティー三回拾ったらキスしてもらえたっちゅう投稿を」 「ガセじゃないですか? さすがに」 「でもおもろそうやん。せやから俺はその真相を知りとうて、わざわざ上京してきたんや」 「えっ!?」思わず大きな声が出る。「そのためだけに上京してきたんですか?」 「せや。一度気になったら居ても立ってもおられへん性格でな」  はっはっ、と岡部は腹を上下させながら笑った。 「でも実際ここに来てみて、もしかしたらほんまかもと思った。ただの噂とかガセで、こんな人が集まると思うか?」 「まあ、たしかに」  俺は周りを見渡す。おっさんだらけだ。多分最年少は俺だろう。 「あっ」俺は声を出していた。 「どないした」 「あ、いや。昨日俺あの人に舌打ちされたんですよ」  電柱を背(もた)れにするおっさんを指さした。ハッチング帽を被って、昔の映画監督のような恰好をしている。撮影シーンを吟味しるような目つきでマンションを見上げていた。 「あー澤田さんか。まあ、しゃーないかもな。あの人この中で唯一リーチかかってんねん」 「リーチ? てことは既にもう二回拾ってるんですか」 「そういうことや。一番気合入っとるから、兄ちゃんに取られたことが悔しかったんやろな」  へー、と何気にその澤田とかいうおっさんに目を向ける。するとその視線に気づいたのか、向こうもこちらを見てきた。ぎろりと睨まれ、俺は慌てて目を逸らした。 「おい、落ちてきたぞ!」  その時、誰かがそう発した。見上げると、何かが舞い踊るようにして落ちてきていた。「パンティーや」隣にいる岡部が呟いた。  それが合図化のように、その場にいた全員が忙しなく動き出した。俺も空を舞うパンティーに意識を向け、足を動かそうとした。  しかし、いざパンティーが落ちてくると、どこに足を向ければいいのか俺は戸惑うことになった。風に揺られて降りてくるパンティーが、どこに着地するかなんて予測できないのだ。それをするのは至難の業だと、俺はこの時になって初めて気づいた。  やがて、「どりゃあっ」と野太い声と共に、空を舞っていたパンティーに何者かの手が伸びた。ヘッドスライディングするように、アスファルトの地面にダイブした澤田の背中が見えた。  澤田が立ち上がり「おりゃああ」とパンティーを握った手でガッツポーズを決めた。「やりよった」といつの間にか俺の隣に戻っていた岡部がそう呟いた。 「いや違うぞ。パンティーをよく見てみろ」  誰かが切羽詰まった口調でそう発した。俺は従って、澤田が握っているパンティーを確かめてみた。何が違うと言うのだ。昨日と違ってパープルカラーではあるが、パンティーに他ならない。 「あ、ほんまや。外れや」岡部が言った。 「外れ?」 「せや。あれは――」  その時だった。 「すいませ~ん」  上からガラガラ声がした。マンションを見上げると、ミス・パンティーの更に一個上の階、つまり五階のベランダのところに六十くらいのおばさんがいた。 「ミセス・パンティーや」 「ミセス・パンティー?」 「たまにパンティーを落とすおばはんや。いっつも派手なパンティー履いてるからややこいねん。間違えて取る人もたまにおる」  俺は澤田の握ったパンティーを見る。たしかにおばさんが履くような下着ではない。 「くそったれ!」  澤田がそのパンティーを地面に叩き落とした。 「ちょっと!」  聞こえてくるおばさんの声を無視し、澤田は去ろうとする。  鳩野さんなら違った反応を見せただろうな、と思っていると、いきなり視界が遮られた。 「わあっ」  また景色がピンク一色になった。顔に何か貼り付いている。正体は分かっていたが、慌てて俺はそれを取った。やはりパンティーだった。 「すみませ~ん」  今度は艶やかな声が上からした。見上げると、ミス・パンティーが申し訳なさそうに頭を下げていた。 「リーチや」  岡部のその声ではっとし、俺は前を向いた。  やっぱり――  澤田がこちらを振り向いていて、険悪な表情を作っていた。
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