地獄にて

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 ここは地獄の最下層。  本来ならば、この場所に至るには、いくつもある階層にて、その層の番人にあたる鬼達から課される罰を受けねばならない。  だが、は全てをすっ飛ばして、この最下層へとやって来た。 「…………」  突如として地獄の地表に出来上がった巨大なクレーターの前で、立ち尽くす鬼が一人。  それまではクレーターの中央へと向けていた視線を、ゆっくりと頭上に向ける。  鬼の足元の地面と変わらぬ赤茶色がただ広がっているはずのそこには、ぽっかりと空いた大きな穴が。  そして鬼はまた視線を戻す。  クレーターの中央で眠る、白衣の少女へと。 「ん、うぅ~ん……、あれ、どうやら寝ちゃっていたようですね~」  現状にはおよそ相応しくない穏やかな目覚めを迎えた彼女は、その背にある美しい白い翼を広げた。 「あれは……、天使ってやつか……?」  思わず鬼の口からこぼれた言葉に、天使はバッと視線を向ける。 「そーでーす! 天使でーす!」  クレーターの外に立つ鬼に聞こえるように、穏やかなトーンではあるが声を張って、大きく手を振る天使。  どうやら敵意はないようだ、というより、警戒するのが馬鹿らしくなった鬼は天使の元へと。 「……堕天使ってやつか?」  近づいてみると、その天使は人間でいう大人くらいの背丈ではあった。と言っても、鬼と比べれば小さいのだが。 「ちがいますぅ! これでも立派な天使ですぅ!」  そんな自称天使の、何とも子供っぽい反論に、鬼はイマイチ納得していないのか首をかしげる。  それを見て、天使は一つ咳ばらいをして、そもそも、と続けた。  「天使が堕天するのなら、行くべき地獄は鬼のいる地獄ではなくて、悪魔がいる地獄ですよ」 「……なるほど?」  鬼は確かにその通りだとは思いつつも、 「……あっちの地獄とか、こっちの地獄とかの概念、天使にもあったんだな」 「鬼さんだって、堕天使とか天使とかご存じだったじゃないですか?」  天使の指摘に、言われてみればと腕組みをして、なぜかと考えてみる鬼。  結論はすぐに出た。 「人間相手の仕事だからな、自然と色んな話が入ってくるんだよ」 「天使もそうです」  間髪入れない、聞いてもいない回答に、まあ、それでいいか、とひとまず鬼は納得の姿勢を見せる。次の話題に進むために。 「そもそもどうやってここまで来たんだ、地獄の底だぞ? 第一こんなところに来ようとする理由が分からん」  鬼の質問を聞きながらも、天使はキョロキョロと辺りを見回す。 「……聞いてるのか?」 「はい、ですが立ち話もなんなので、座れるものはないかと思ったのですが……」  聞いてねえじゃねえか、そんな言葉が鬼の口から出たのと同時に、二人の足元でボワンと白煙が。  何かと思うと、そこには丸いちゃぶ台を挟んで二枚の座布団が。 「こちらのテイストに合わせてみました。」  得意げな天使に、『お前がやったのか』だとか『どうやって』だとか言いかけた鬼だったが、このままでは話が進まない、と疑問をグッと飲み込んで腰を下ろす。  ちゃんと鬼の大きな身体に合わせたサイズの座布団を用意する辺り、意外と気が利くやつなのかもな、と鬼が考えていると。 「あいたたた、すみません、足がしびれてしまったので、私は空中でもいいですか?」  そう言って天使は体育座りの姿勢のまま、フワ~と宙に浮かぶ。 「もう何でもいいから、話を進めてくれ……」  額に手を当てる鬼の姿に、そうでした、と天使は口を開いた。 「ここに来た理由と方法でしたね……」  急に真剣な表情を見せた天使に、鬼も姿勢を正す。  ……が、 「天国で転んだら、勢い余って人間界も通り過ぎて地獄の底まで来てしまったんですよ」 「……それは人間界で流行ってる小説か何かか?」 「事実です」  頭を抱える鬼。  どうしたのかと不思議そうな天使。  しばし沈黙が流れた後、 「まあいい、それが事実ならそれでいいが、帰る当てはあるのか?」 「そうですね……、帰ろうと帰れるかと。このまま上昇すればいいので」  確かに、この地獄の底から天国までの道の入り口が、頭上の大穴だとするならば、今もフワフワ浮かんでいる天使はそのまま飛んでいけるのかもしれない。  しかし、この天使の言葉には気になる点が。 「帰ろうと思えばと言ったが、帰る気はあるのか?」  半ば呆れたような問いに天使は変わらないゆるゆるとしたトーンで答える。 「う~ん、どうしましょう?」 「俺に聞くな」  ごもっともな指摘に、天使は少し考えるような素振りを見せたかと思うと、 「あの、さっき座布団に座った時に気づいたんですけど」 「……何をだ?」 「ここの地面、すごく熱くないですか?」 「……」  大発見のように話す天使に、少し返事が投げやりな鬼。 「まあ、地獄だからな……」 「と言うことは、私が作ってしまった地面のへこみに石を敷き詰めて、水をいれたら温泉になるんじゃないですか?」  そしたら旅館を作って私が女将に、などと天使が言うのを聞き流しながら、鬼は改めて、先程よりも真剣に尋ねた、 「帰る気はないのか? それとも、帰りたくない理由でもあるのか?」 「えっ……」  宙に浮かんでいた天使の動きがピタリと止まる。  先ほどまでは何を言われてもマイペースで動じなかった天使。  それが俯いたまま何も言わなくなったとあって、鬼も少し考えこんでから続けた。 「……俺は、というか、地獄の鬼は、生まれた時から決められた役目を全うするだけの存在だ。だから、中には変化を求めて人間界に出ようとしたあげく、元居た層より下の層に送られるやつもいる」 「……それって」  天使はそれ以上は言わず、静かに鬼の言葉に耳を傾ける。 「天使がどんなもんなのかなんて分からん。あくまでも人間達からの情報でしかないし、その情報だって曖昧だ。天国も地獄もある奴からすれば一つずつだし、他の奴からしたらいくつもあったりする」  ここで自分に向けられた天使の真っすぐな視線に気づき、鬼は頬をかく。 「あー、なんだ、何が言いたいのか分かんなくなっちまったが、あれだ、ここにいても、俺に面倒は見切れない。それに、天国の決まりだとかも知らん。だから、悪いことは言わん、出来るだけ早く帰った方がーー」 「鬼さんの役目って何ですか?」  それまでは黙って聞いていた天使の問いに、また話が逸れてはいけないと一度は無視しようとした鬼だったが、その真剣な瞳を前には出来なかった。 「……何もない」 「え?」  予想外の返答に驚く天使に、いや、そうじゃなく、と鬼は続けた。 「ここは地獄の最下層、亡者達はここに来るまでに、全ての層で罰を受けなければならない。そして、全ての罰を終えた先にあるのは、無だ」 「無……、……だから『何もない』」 「そうだ、ここでは罰も何もない。むしろ何もないのが罰のようなものだ。そしてそれを監督するのが俺の役目だ。監督もへったくれもないけどな」  そう寂し気につぶやいた鬼の言葉に、何かを決めたのか、一つ頷いてから天使は、 「なるほど、それが鬼さんの役目なんですね。……じゃあ、私の役目はなんだと思いますか?」 「何だ急に、……死者の魂を運ぶとかだろ?」 「ブッブー、違いますぅ」  わざとらしく腕でバッテンをつくる天使に、さすがにイラっとした鬼だったが、 「願いをかなえることです」  誇らしげに笑う天使に、鬼もつられて、そうかい、と小さく笑う。 「立派な役目じゃないか」 「それがそうでもないんですよ」  どういうことかと首をかしげる鬼に、天使は困ったように笑った。 「願いをかなえると言っても、限度とか決まりがあるんですよ、じゃないと、人間界めちゃくちゃになってしまうんで」 「……それもそうか」 「それにかなえた願いの中には、かなえたくなかったモノもあったりして」 「……」  やっと天使の心のうちを少しでも知れた気がして、鬼は嬉しいのか悲しいのか、そんなよく分からない感情に戸惑っていたのだが、 「というわけで、鬼さん! あなたの願いは何ですか?」 「は?」  やっぱりこいつのことはよく分からん、そんなことを鬼が思っていると、 「鬼の願いをかなえてはいけないとは言われていません。それに、先程の限度や決まりは人間の願いに適用されるものです!」 「……おい、まさか」 「はい! 鬼さんの願いだったら私は自由にかなえることが出来ます!」  これでもかと空中で胸を張る天使。  そのドヤ顔に、ひょっとしたらこいつは思った以上にヤバいやつ、まさかこれが噂に聞く魔王と呼ばれる存在なのでは、と本気で考える鬼。 「それで! 願いは?」  いたずらっぽい笑みを浮かべる天使につられて、鬼の顔にも思わず笑みが。  ――もしも何もかもが滅茶苦茶になったとしても、こいつがやることなら退屈しないかもな。  そんな風に思えて、鬼はゆっくりと立ち上がって、天使の方へと向き直る。  そして、 「俺の願いはーー」  それからしばらくして、こんな噂が地獄の亡者達の間で流れ始めました。 『地獄の最下層には、全ての罰を乗り越えた者をもてなす温泉宿があるらしい。大きな露天風呂がウリで、女将はまるで天使のように美しいのだとか……』
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