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息子さん
月寒に着いた頃には辺りは薄暗くなっていた。
私たちは婆さんの記憶を頼りに過去に暮らしていたという住宅街まで足を運んでいた。
入り組んだ路地は婆さんの記憶と違っているのか苦戦はしているものの、それらしい場所に辿り着く。
「確かこの辺だった様な…」
「間違いないのかい?」
「景色はすっかり変わってるけど…ここだったと思うわ…」
年月は無情にも思い出の場所を変えていた。
「家はもう無くなっちゃったのね…」
婆さんは寂しそうにつぶやいた。
「気を落とすなよ…本当に昔の家に帰るつもりじゃ無かったんだろ?」
私は薄々、気が付いていた。
家へ帰ると言ったのは楽しかった過去の家に戻りたかったのだ。
しかしそれは不可能で思い出の場所で過去の自分を取り戻したかった。
時代も様変わりし婆さんの居場所はもうここには無い。
結局、ここへ来ても楽しかった思い出を振り返る事しかできない。
そんな時、路地を歩く爺さんが婆さんを見て驚いたように声を掛けてきた。
「千絵さん?千絵さんじゃないかい?」
「上田さんかい?」
爺さんの名前は上田と言った。婆さんは驚いてはいるが少しバツの悪そうな顔をしている。
「すっかり変わってしまってわからなかったよ…もう50年くらいは経つかね?」
「ああ…」
婆さんは何故か悲しげだった。ここは楽しい思い出のいっぱい詰まった場所ではないのだろうか?
「あんた達が息子さんを亡くして、ここを出て行ってからそのくらいかぁ…もうここには帰って来ないと思ってたよ」
婆さんには息子がいた。しかもここで亡くしていた。
婆さんは更に悲し気な顔を見せる。
「爺さん、ちょっと顔貸せよ…」
「おっ!お孫さんかなぁ~?可愛いね~」
いつもなら「孫じゃねぇよ!」と啖呵を切るのだが、この時は爺さんの手を取って婆さんの見えないところに連れていった。
「爺さん、詳しい話を聞かせてくれよ」
「お婆ちゃんは昔この辺に住んでおってな…事故で息子さんを亡くして内地の方に引っ越して行ったんじゃ」
無粋な爺さんだと思った。人の不幸事を大ぴらに話してはいけないだろう。
しかし、この爺さんのおかげで詳細はわかった。
婆さん夫婦は交通事故で息子を亡くしていた。
幼かった息子は2人が目を離した隙に車道に飛び出し事故に巻き込まれていた。
婆さんたちは事故に合わせた責任が自分たちにあったと己を攻める。
やがて夫婦仲も上手くいかなくなり喧嘩ばかりの毎日になった。
何時しか息子との楽しい思い出がいっぱい詰まったこの場所が重荷に思えてきた。
何もかも忘れて1からやり直すために夫婦で決断してこの地を後にする。
婆さんが求めていたものは息子がいた頃の楽しかった思い出と息子に対する懺悔の気持ちだった。
私は婆さんの元に戻りその顔を見つめた。婆さんは虚ろな眼差しで元の家の場所を眺めていた。
「婆さん…息子の墓はどこにあるんだい?」
「私たちと一緒に本州へ渡ったので今は東京です…」
「じゃあ、行ってみようか…」
「はい、八千枝さん…」
「???…」
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