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湯煙の中で
私たちは帰りが遅くなったので札幌の定山渓で一泊することにした。
婆さんはさっきとは別人の様に楽しそうにはしゃいでいた。
「こんな宿に泊まるなんて何年ぶりですかね?」
婆さんはやはり私を誰かと勘違いしている。
それにさっき言った八千枝というのは誰の事なのだろうか?
きっと私の事をその八千枝という人物だと思い込んでいるに違いない。
「そんな事より飯が来る前にさっさと風呂に入りに行くぞ!」
「はいはい…わかりましたよ。八千枝さん…」
風呂に着くと私はダメもとでその八千枝というのが誰なのか聞いてみた。
すると驚いた事にまともな回答が婆さんの口から返ってきた。
北海道を出るまでは婆さんと唯一無二の親友だった。
息子を亡くした事で気落ちした婆さんは八千枝との距離を徐々に遠ざけていく。
八千枝には何も非はないが、家族に深くかかわっていた事で、その存在は思い出を呼び起こしていた。
良かれと思った励ましも婆さんには重荷になってのしかかる。
やがて本州へと旅立ち、来ていた八千枝からの便りに一度も返信することなく、遂に便りは無くなった。
風の噂で聞いた話では八千枝は何年か前に亡くなっているいる。
婆さんはその姿を私と重ねていた。
何かはハッキリとしないが通じる部分があるそうだ。
ボケて勘違いしていると思っていた私は真相に驚きが隠せなかった。
涙を流しながら語っていた婆さんは話し終えると無理に笑顔を装う。
そしてどんな意味があるのか「ありがとう」と言った。
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