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   私は先週、ネットでとある街コンサイトに登録をした。30歳になり、結婚を意識しているものの、女性と知り合う機会のない私は、藁にも縋る想いで街コンサイトに登録してみたのだ。  サイトを見ていると、どの街コンイベントも満員御礼のようだった。よほど人気のあるサイトだと純朴にも信じた私は、空席のあるイベントがないかを必死に探した。  そうして目を皿にしてサイトを眺めていたところ、「空席残りわずか」という文字を見つけた。私は踊り出したいほどの高揚した気分に包まれたが、気持ちを落ち着けてそのイベントにエントリーした。  そして今日、そのイベント当日を迎えた。私は事前に買ってきたZARAの新品の服を着て、いつもより入念に髪をセットして家を出た。  そうして満を持して会場である地下の居酒屋に足を運ぶと、そこには女性が一人座っているだけだった。推定120キロはあろうかという巨漢のその女性は、全身ピンクでフリルのついたふわふわした感じの服装をしていた。  私が呆然としていると、街コンサイトの運営らしき中年の男性が声をかけてきた。 「料金は1万円です」  彼はそう言ったが、私は言葉を発することができなかった。しばらく思考を整理してから、ようやく私は訝しそうな目で見てくる男性に質問をすることができた。 「あの、サイトには確か『空席残りわずか』って・・・」 「ああ、他の方は皆さんキャンセルしました」 「キャ、キャンセル?」 「ええ、よくあるんですよ。だって今日はほら、金曜日でしょ? 参加する予定だったけど、仕事が片付かなかったり急な仕事が入ったりで、キャンセルする人が多いんです。まったく、困りますよねえ。まあ、社会人だったら仕方ないことですけど」  そう言うと、彼は鼻を大きく膨らませて欠伸をした。 「うそつけ」という言葉が喉まで出かかったが、私は口をつぐんだ。ちらっと女性を見てみると、じーっとこちらの方を見ていた。  私は詐欺に遭ったも同然だったが、生来の気の弱さがむくむくと鎌首をもたげてしまい、ここから逃走することができなくなった。  私は男性に1万円を支払い、女性の対面の椅子に腰をかけた。 「これも社会勉強だ。いずれ、きっと何かの役に立つ」  私はその言葉を呪文のように、何回も心の中で念じた。店内には普通に居酒屋に来ている客もおり、そうした他人の視線を抹消するためにも、私は修行僧のように集中して念仏を唱えた。  運営の男性がドリンクを訊きに来た。どうやら居酒屋の店員ではなく、男性が全ての応対をするらしい。私はウーロン茶を注文し、巨漢の女性はハイボールを注文した。 「飲まないんですかあ? せっかく居酒屋にいるのにぃ~」  と、女性が言ってきた。私は言葉を発さずに苦笑で応えた。その時に初めて女性の顔をまともに見たが、メイクが派手でいわゆる「地雷系メイク」を施していた。  しばらくしてからドリンクが運ばれてきた。男性が軽く挨拶の言葉を述べてから、私と女性は乾杯をした。 「はあ~まじハイボールしか勝たん!」  女性はジョッキのハイボールを一口で半分近く減らすと、ゲップ混じりにそう言った。私が神妙な表情で相槌を打っていると、それからも女性は「まじ今日の私の格好、かわいいの暴力じゃないですか~」など、一人で饒舌に喋っていた。  そうして女性の話を聞き流していると、サラダや唐揚げなど2~3種類の料理が運ばれてきた。 「これで1万円か?」  私は心の中で叫んだ。街コンとはいえ、居酒屋に行くのだからそれなりの料理が出ると踏んでいた私は、夕食をとっていなかった。 「まじでぼったくりじゃねえか」と心の中で悪態をついていた私とは対照的に、女性は「ぴえん超えてぱおん」などと言って、嬉しそうだった。その様子を見て私は、女性は参加費無料であったことを思い出した。 「居酒屋でサラダ食べるなんて初めて~。まじで草」と言って、女性はむしゃむしゃと草を食べていた。私はその様子を見て、食欲をなくした。  女性はグイグイとジョッキを空け、3杯目を注文した。運営の男性が「お一人様2杯までです」と言っても聞かずに、居酒屋の店員を呼んでハイボールを注文した。ハイペースでジョッキを空けた女性は、案の定すぐに酔っぱらってさらに饒舌になった。 「ぴえーん。もう食べられないめう。サラダでお腹いっぱいになっちゃった。きゅぴぴりーん」  酔った女性はそう言い放った。私がちらっと奥にある座席の方を見ると、こちらを見てクスクス笑っている大学生らしき男女混合のグループが見えた。私は目をつむり、さっきの呪文を再び心の中で唱えた。 「ところであんたは仕事何してんの?」  いつの間にか私は、あんたと呼ばれるようになっていた。しかしそれでも、私の心は動じなかった。私は心の動きを制する術に長けていたからだ。 「仕事は不動産の営業をしています」私は静かに答えた。 「へえ~営業なんだ。営業ってなんか、大変そうだよね」  女性はジョッキをふらふらと揺すりながらそう言った。私は苦笑で応えるしかなかった。  確かに営業は大変だ。契約を取るためには、どんな人間に対しても頭を下げ、平身低頭でいなければならない。マンションや土地を持っている人間というのは、横柄なタイプが多い。私が心の動きを制する術に長けているのも、ひとえに仕事で身につけたものだった。 「りりかさんはお仕事は何をされているんですか?」  女性はりりかとしか名乗らなかったため、私はそう呼んだ。どうせ偽名だろうと思った。しかし偽名を使うということは、真剣に相手を探しているわけではないのだろう。無料で飲食することを目的としているのかもしれない。 「何してるように見える~?」  彼女は頬杖をつき、鼻の穴を膨らませながら訊いた。 「トトロの中の人ですか?」  特段興味があって訊いたわけでもなく、相手も酔っているので冗談として笑ってくれるだろうと思ったが、言った瞬間に頭頂部を拳骨で殴られた。 「まじありえんだろお前」  彼女は一気に酔いが冷めたかのように、冷徹な表情になって言った。私は客先でやるように「申し訳ございませんでした」と言って頭を下げた。 「お前、真面目そうなタイプに見えて、案外ふざけたこと言うじゃねえか。いいか、言っとくけどな、真面目な奴が言う冗談ほどつまらねえものはこの世にねえんだよ。覚えとけ」  途端に雄々しい口調になった女性に対し、私は恐怖を抱いた。私が頭を下げていると、「真剣に答えてみろよ」と彼女は言った。 「想像もつかないです」  私が正直に答えると、彼女は「はあ~」と溜め息をつき、ジョッキに口をつけて空にした。私は得意先を接待している時のように、すぐに店員を呼んでおかわりを注文した。運営の男性が舌打ちをするのが聞こえたが、構わなかった。 「お前さあ、彼女とかいたことないだろ。女の扱い方、まったくわかってねえよな。そんなんだから、こんな街コンなんて参加してんだろ。普通はさあ、アイドルとか、声優とか、可愛らしい職業を言うのが礼儀だろうが」  いきなりドスの効いた声を出す彼女に、私は縮み上がった。 「この度は誠に申し訳ございませんでした・・・。でも、確かに特徴的な声をしていますよね。なんか、可愛らしいというか」  取ってつけたような言い方だったが、しかしこれは本心でもあった。実際彼女は、少し変わった声をしていた。普通の女性よりも高いというか、可愛らしい声をしているのは事実だった。 「最初からそう言うんだよ」  そう言うと彼女は「ガハハハ」と笑った。さっきまで「きゅぴぴりーん」と言っていた人とは思えないほど、豪快な笑い方だった。 「で、実際のところお仕事は何をされているんですか?」 「モデルだよ」 「モ、モデル??」 「お前、嘘ついてると思ってるだろ」  女性の手が動いたため、私はまた殴られると思って目をつむった。しかしいつまで経っても頭頂部に衝撃が走らないため、おそるおそる目を開けてみると、目の前にはスマホが突きつけられていた。  彼女が手に持っているスマホの画面には、長身でスラッとした女性の画像が映っていた。薄い緑色のワンピースを着ているその女性はとても美しかった。 「これ、誰ですか?」  私がキョトンとして尋ねると、彼女は笑いながら「あたしだよ」と答えた。 「まさか」という言葉と「そうですよね」という言葉が同時に頭に浮かんだが、どちらも適切ではないような気がして口をつぐんだ。すると女性はさらに笑った。 「まあ、驚くのも無理はないよね。これは2年前のあたし。この頃は身長172センチで、体重が45キロだったんだから」 「本当にモデルだったんですね」 「今もだよ」と言って、彼女は笑いながらスマホを引っ込めた。「確かに今はこんな体型だけど、必ずまた元の体型に戻ってモデルの仕事をやるんだ」  果たして彼女の言っていることが本当なのかは分からない。さっきの画像が本当に昔の彼女なのかも分からない。ただ、その時の彼女はとても活き活きとした表情をしていた。本当に好きなことを語る人の目だった。 「目標があるって良いですね」  私はふと、思ったことを口にしてしまった。それを聞いた彼女は少し恥ずかしそうな、照れたような表情をした。 「あんたは夢とか目標ってないわけ?」 「僕ですか?」 「あんた以外に誰がいるんだよ」彼女は快活に笑った。 「そうですね」私も笑った。「僕の夢ですか・・・。昔はありましたけど」 「ほう。どんな夢があったわけ?」 「イラストレーターになりたかったんです」 「へえ、イラストレーターか。すごいじゃん」意外にも、彼女は興味がありそうな返事をした。 「当時は本気で考えてて、専門学校にも通ってたんですよ」 「今は営業やってるんでしょ? 何でその夢諦めたわけ?」 「親父が病気になったんです」私は少し恥ずかしい気分になったが、嘘を言ってもしょうがないので正直に話した。 「親父が病気になって倒れて、寝たきりになったんです。母は僕に気を遣って心配するなと言ったんですけど、やっぱり家計がどうにも厳しくなって。それで学校に通うのを諦めて、働く必要が出てきたんです」  つまらない話をしているな、と思った。訊かれたから答えているまでだが、彼女もこんな話は聞きたくないだろうな、と私は思った。 「それで、今の会社に就職しました。最初はイラストレーターの夢を捨てきれない気持ちもありましたけど、今じゃすっかりそんな気持ちもなくなって立派な社畜になりましたよ」  最後のところは笑って欲しいところだったが、彼女は笑わなかった。私の話を聞き終えると、「あんたも色々あったんだねえ」と感慨深そうに言った。 「まあ、人生そんなもんですよ」 「お互い、色々あるねえ」 「りりかさんも、大変な思いをされることもあったでしょう」 「うちの業界はね」と言って、彼女は唐揚げを一つ口にした。「夢を売る仕事だけど、裏では色々あるんだよ。プレッシャーもハンパないし、病んじゃう子も多いんだよ。私の場合は病みはしなかったけど、ストレスが重なって暴飲暴食に走って、今みたいな体型になっちゃったわけ」  そう言って彼女は笑った。今度は私も笑った。 「まあ、私はあの仕事が好きだから続けたいし、続けるつもりだけどね」 「好きなことを仕事にしても、大変なことって多いんですね」 「ねえ、そんなことよりさ」そう言って彼女は、バッグから手帳とペンを取り出した。「あんたイラストレーター目指してたんでしょ? ちょっと、何か描いてみてよ」 「ええ」いきなりキャバ嬢みたいなノリで無茶振りをしてくる彼女に、私は驚いた。 「いいじゃん別に、減るもんじゃないし。あんたが私を可愛く描いてくれたら、さっきの失礼な発言は帳消しにしてやるよ」  良心的な私は、痛いところを突かれて断ることができなくなった。仕方なく彼女から手帳とペンを受け取った。さっき見せてもらった画像の人物をイメージして描こうとしていると、「どうせなら、アニメや漫画の登場人物みたいに描いてみてよ」と彼女が言った。 「それなら得意です」私は笑いながらそう言った。「イラストレーターを目指していたのも、アニメや漫画が好きだったからなんですよ。ポップな感じのキャラクターを描く練習ばっかりしてたので、今でも描けると思います」  そう言うと、彼女は満足そうに頷いて腕を組んだ。私は画像の人物のイメージを頭の中から消し、今の彼女をポップに描いてみることにした。地雷系の服装とメイクは、キャラクターとしてデザインしやすかったからだ。  ものの10分もかからずに、私は可愛らしいキャラクターを描くことができた。ゴシックな感じのワンピースを着た、尻尾と翼の生えた女の子の悪魔だ。大きめのヘッドホンを首にかけているのも、愛嬌を増す効果を生んでいるように思う。  私は出来上がったものをテーブルに置いて彼女に見せた。すると彼女は「ううむ」と言って唸り、真剣な表情で眺めていた。いつの間にか運営の男性も近くに来ており、「これは上手ですね」などと言っていた。 「あんた、思ったよりやるじゃん。これはいいよ。すごく可愛く描けているし、本物のあたしそっくりだよ。あたし、この絵気に入ったよ」  本物とそっくりとどうかはさておき、私は褒められたことを素直に嬉しいと思った。自分の描いたものを人に見せることがいつ以来なのか、思い出すこともできない。しかしこうして人に喜んでもらえて、私はイラストレーターを目指していた時の懐かしい感情を少しだけ思い出すことができた。 「あたし他人にお世辞言うの好きじゃないんだけど、これは本当にうまいよ。びっくりした。あんたには才能があるよ」 「私もそう思いますね」  いつの間にか隣のテーブルに腰を下ろし、ビールを飲んでいる運営の男性もそう言った。私は急に恥ずかしい気分になってきた。 「才能があるなんて大袈裟ですよ。でも、こうして人に褒められることってあんまりなかったので、素直に嬉しいです」 「ねえ、あんたさあ、今からでもその夢目指すつもりはないの?」  いきなりの質問に、私は驚いた。そんなことは、ずっと考えたこともなかったからだ。 「無理ですよ。僕だってもう30歳ですし、今さら夢を追って冒険をできるような年齢じゃないですよ」 「別に会社を辞めなくたって、ちょこちょこっと仕事をもらうことだってできるでしょ?」 「そんな実力もないし、人脈もないですよ」私は笑った。 「今だったらネットがあるじゃん。ネットで活動して仕事もらって、プロになる人だってたくさんいるでしょ」  それは確かにそうだった。イラストレーターに限らず、アーティストでも小説家でも、ネットから活動を始めて有名になる人が増えているのが現代の良いところだった。 「まあ、それは確かにそうなんですが。でも、僕には無理ですよ。僕は会社で働いて、社畜でやっていくのが分相応ってやつです」 「分別あるようなこと言ってるけど、あんた単に勇気がないだけじゃないの?」  彼女が鋭い目をしながら指摘した。私は痛いところを突かれたような気がして、少し縮こまった。 「本当に好きなら続けるもんじゃないの? 有名になれるかとか、それで食えるかとか関係なく、そんなこと度外視して続けることが、本当に好きなことなんじゃないの?」  それは正論だった。確かに、売れるかとか食えるかとか考えている時点で、作品よりも作品によって得る利益のことが頭にある証拠なのかもしれない。私は彼女の真正面からの指摘に、ただただ頷くことしかできなかった。 「りりかさんの言う通りです。絵を描かなくなった時点で、僕は少し卑屈になっていたのかもしれません。本当はいつでも、空いた時間でいくらでも描くことはできたのに」 「あんたさ、仮定の話だけどさ、もしこれから仕事が舞い込むようなことがあった時、どうするつもりなの?」 「どんな仮定の話ですか」  彼女の突飛な質問に思わず吹き出してしまった。しかし彼女は真剣な目をしていたため、私も姿勢を正して真剣に答えることにした。 「そうですね。まあ夢のまた夢のような話ですけど、もし僕が描いたものが人の目にとまって仕事がもらえるようなことがあったら、それはやっていきたいと思いますね。僕も入社して年数は経つので会社での仕事は落ち着いてるし、仕事の後や休日の時間を使って描くことはできると思います」  それを聞くと、彼女は満足そうに頷いた。私はその様子を見て、この人は真剣に生きている人なんだな、と思った。 「じゃあ、そろそろこの辺で」  運営の男性が立ってそう言った。時計を見ると、会場に来てからもう2時間が経過していた。あっという間の2時間だった。彼女は「唐揚げ残ってるじゃねえか。全部食えよ」と言って、皿をこっちに押し寄せた。私は彼女の命ずるまま、急いで残りの料理を喉に詰め込んだ。  店を出た帰り際、彼女に連絡先を訊かれた。「あんたの番号、この手帳に書いといてよ」という一方的な要求だったが、私は嫌がることもなく素直に応じた。私が電話番号を書くと、彼女は「いつか連絡するかもだから」と言って、振り返りもせずに立ち去った。  私は不思議な2時間だったな、と思った。将来を見据えた交際のできる相手を見つけるという当初の目的は果たせなかったが、しかし私は充実した気分を感じていた。りりかさんというパワフルな女性と出会い、エネルギーをもらうことができたからだ。 「ちょっとぐらい、やってみようかな・・・」  私は夜の街を歩きながら、独り言を呟いた。これといって趣味や没頭できるものがあるわけでもない。休みの日は、家でずっとYouTubeを見てるだけの生活だ。だったら、少しぐらい絵を描いてみても問題ないだろう。 「あたし、この絵気に入ったよ」  彼女の言った言葉が繰り返し頭の中で反芻された。私は今日、街コンに参加しといて本当に良かったなと思いながら、軽い足取りで駅のホームへと向かった。
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