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「お支払いは店内でお願いします」
朔にしてはいい対応だった。
話しかけてきた客を無視することもしばしばある。仕事に関係あることならば言葉少なに答えるが、世間話や朔の気をひくための媚びで話しかけられる時は、まったく相手にしない。
社長にたしなめられ、最近ようやく何かしら言葉を発するようになった。しかたなく単語を数個出すだけだから、会話が成立しないこともしばしばあった。
「……あの……代金じゃなくて……その……これ……」
彼女はブレーキパッドの交換でここを訪れた客である。自分の車の整備が終わるのを待ちながら、朔が仕事を終えるタイミングを待っていたようだ。
実はブレーキパッドはまだ交換時期でない。この女性客は朔に会うためだけに、交換しなくてもいいブレーキパッドを交換しに、この工場にきたのだ。
「受け取ってください……お願いします……」
かすれた声で哀願しながら、大粒の涙を流した。ぎゅっと目をつぶり、必死な面持ちが今にも咽び泣きしそうに崩れていく。
朔はようやく客がさし出した物を見やる。片手にのるぐらいの小さな包みだった。
見やったものの受け取ろうとしない朔に、女性客は半ば押しつけるように包みを渡すと、支払いをするために店の中へ走るように戻っていった。
客が店に入るか入らないかというタイミングで、朔は包みをゴミ箱に無造作に突っ込んだ。
「おいっ、待てよ! 捨てるんじゃねーよ! お客さんからもらった物は自分ちに持って帰れっ!」
と、朔の冷酷非道なふるまいを、高橋が目ざとく見つけたのだった。
*
見つけられたのは、高橋が担当した客だったからだ。
車の整備はとっくに終わったのに、工場内をもじもじしながらウロウロしていて、支払いをすませようとしない、どうしたのだろうと様子をうかがっていた。
声をかけようとした時、客は工場に戻ってきた朔を見つけ、近づいていった。
プレゼントを渡しているのを見て、この客も朔が目当てかと思ったその矢先のことだった、朔がプレゼントをゴミ箱に突っ込んだのだ。
高橋はかなりあせった。
従業員が女性客からのプレゼントを捨てたところを見られたら、この女性客はこなくなってしまう。
それどころか、変な噂が立ち、工場の売上げもに影響してしまうにちがいない。
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