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序章 氷輪
白い霧が鼻先まで立ち込める世界に、たった一人でたたずんでいた。
首をめぐらせた。周囲の様子がまったくうかがえない。濃密なそれはまるで行く者の目標を奪い、感覚を鈍らせるほどだ。
見えるものといえば足元の地面だけ。その地面すら、乾いた粘土のように白茶けている。
この霧は知っているものと異なっていた。
霧は細かい水滴の集合体である。湿り気や冷たさを感じてもいいはずなのに、取り巻くそれらは白い粒子でしかない。
息苦しくて、喘いだ。ここにいてはいけない、抜け出さなくてはと、あせればあせるほど、空気をうまく吸い込めず、足がもつれる。
息を切らし、足を引きずり、懸命に歩いた。体が向いている方角こそが進行方向なのだと信じて。
いつかどこかにたどり着けると。霧の中から抜け出せるのだと。
そう信じていたのに、ふと、脳裏をよぎる。
立ちどまれば楽になるのでは?
風が吹いた。
前方から、雲の尾を、長くひいて風がやってくる。頬を氷のように冷たい手でなで、額にかかる髪を揺らして吹き上がる。
風圧に耐えきれなくなって目を閉じた。体を通って天上へかけて行った風が、体温を奪った。
いつのまにか、体にまとわりついていた霧が晴れていた。
急に開けた視界はどこまでも白い大地が広がり、地平線で空と大地がわかたれ、際から頭上まで漆黒の闇がおおう。
辺りには建物も人も、虫一匹すら存在しない。道も、先人が残した足跡もない。頭上には月も星もないが、黒いから、今を刻む時が夜を示していることは確かだ。
夜目が効くのは地面が白いせいだろう。石ころひとつさえない地面を大地だとかんちがいしたのは、見知ったものをひとつでも見つけたいという願望が見せた錯覚なのかもしれない。
頭上をおおっていた漆黒が降りてきた。
むき出しの肌という肌に吸いつき、
自我を侵食し、
全身が言い知れぬ憂懼に責めさいなまれる。
苦しいという感情と言葉が結びつかないほどに思考が麻痺し、胸は圧迫され、耐えきれずに膝を折った。
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