橋の下

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橋の下

 昔の人はかつて自分の子に対して、「お前は橋の下で拾ってきた」と言ったらしい。親にとって悪気のない冗談でも、子どもはどう解釈したのだろうか。血が繋がっていないことにショックを受けたのか、何も思わなかったのか、泣いたのか。    俺は何も思わない。  事実として、俺が橋の下で拾われた子どもだからだ。  俺のように橋の下で拾われた子どもは多い。  血の繋がった親のもとで育てられる子どもはいまや稀で、人口のおよそ10%しか存在しない。  生まれたばかりの赤子の血液を検査し、特殊な機械の判定にかければ、どのような容姿でどのような能力を持つか分かるようになった。  親が子どもを選べる時代だ。昔は親が子どもを選べず、性格が合わずに家庭の不和が発生したらしいが、あらかじめ分かっていれば不和は存在しない。  子どもをピアニストにしたければ、ピアニストの才能を持った子どもを探せばいい。老後の安泰を考えるならば、高収入が臨める職につく能力を持つ子どもを探せばいい。見目のいい子どもが欲しいのなら、見目のよい両親から生まれた子どもを探せばいい。  子どもが自分よりも劣っていて欲しいなら、自分よりも劣った遺伝子を持つ子どもを探せばいい。  デパートでブランド品を買うように、消耗品を格安で買い足すように、橋の下に行けば子どもはいくらでも売っている。  かつてこの世界では少子高齢化という社会問題を抱えていた。個の命を重要視するあまり、人間という種族が存続に瀕していた。これが大きな矛盾だと、今は社会科の授業で面白おかしく語られる。  あるとき、大国の独裁者となった男により発想の転換が図られた。個の命を軽視することで、人間という種族を存続させること。利己的な感情よりも、全体の利益を優先させること。  従来の価値観と大きく異なったその方針に背くものを、大国は軍事力でもって服従させた。  今ではある程度、人間の個の欲望も満たすために、子どもの遺伝子を判定する機械も開発された。  個の欲望も、人間という種の欲望も両立している。大人たちはまさにこれが最高の世界だという。人間は太古の恐竜のように絶滅しない。未来永劫に存続する最高位の生物なのだと…… 「はい、では今日の授業はここまで」  担任の先生が人好きのする笑顔で笑った。隣のクラスの先生も同じように笑う。先生は『生徒の話を寄り添って聞き、生徒の素材の良さをいかに引き出せるか』だから、そういう特性が高い人が先生になる。だからいつもにこにこしていて、腹を立てない。 「おーい部活行こうぜ」 「ごめん、今日は用があるんだ」  俺は友達の誘いを断り、教室を出た。    俺はサッカー選手になる適性が高く、幼稚園の頃からサッカー漬けだった。友達もそうだ。  遺伝子を判定する機械は優秀で、俺はめきめきと上達をし、色々なチームでレギュラーとなった。目をつむっていても、始終サッカーボールが頭に浮かぶくらいだ。  サッカー選手になる適性が高いやつばかりだから、部活に下手なやつはいない。常に全力でやらないといけない。  育ての親は自分たちが見込んだ通りに、俺がサッカーに打ち込むのを歓迎した。褒めた。  帰り道を歩く。  電柱に貼られたポスターが目につく。 『芸術的才能スイショウ』  これは今年生まれる子どもが、芸術的な才能を持つように調整させるポスターだ。この世界の秩序が保たれるように、親の要望で偏ることがないように、数年前から貼られるようになった。  スポーツに秀でた遺伝子を持つ子どもは、今年は廃棄されるやすいだろう。  太陽が沈む前に、帰り道を歩くのは初めてだ。  俺は川の上にかかる橋を目指した。  橋に近づくと、子どもを買ったり売ったり捨てたりする人で騒がしく、悪臭を隠す芳香剤がまかれているからすぐ分かる。  今日も河原で赤ん坊に値札が貼られている。親の代理で赤ん坊を売る代理人もせわしなく行きかっている。  30パーセント割引の値札、六桁、セット売り…  この川は激流で、賞味期限が切れたものも流しやすい。  俺は川の流れをのぞいた。くらりとめまいが襲う。  俺を買った人たちは、俺が期待通りの優秀な遺伝子で誇らしいと言う。  俺は恵まれている。  親の期待に応えた。  俺は恵まれている。  廃棄されなかった。  将来は明るい。  俺は恵まれて。  幸せのはず。  前途洋々。  期待、に  しあわ  不幸 「うっ、あ」  俺は吐いた。  赤ん坊が泣いている。幼児が無邪気に父母を求めている。背中に値札を付けた十代の少年が、体育座りで座っている。  本当は。  本当は、サッカーなんてやりたくない。  水泳をやりたかった。  体育の授業や遊びでプールに行くのが楽しかった。  泳ぐことは得意ではないけれど、身体が浮遊する感覚やきらめく水が好きだった。  育ての親は許さなかった。    バロメーターをぐんぐん伸ばしてもらったのに、ここは地獄だ。  橋の下から買い手を待つ子どもを見る。  可能性が無限だった、あの頃に戻りたい。  なんにもなかったことにしたい。  もう捨てられる年齢じゃない。  だから。    俺は橋の下から川の流れを見た。水は河原の甘い芳香を伴って、誘うように流れている。  自分の意志で決められて、俺は嬉しかった。  制服を着たまま欄干に上る。  テレビで観た水泳選手のスタートを思い出して、ぴんと身体をまっすぐに伸ばす。    ようい、どん。  たくさんの流れる命と溶け合って、俺は生態系の一部となるのだ。    お題:「地獄」「橋の下」「最高の世界」  ジャンル「指定なし」
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