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「柏葉主任と営業部イチのイケメンが付き合ってるていう噂、本当だったんだな」
社内の休憩室で今日も暁翔の作った弁当を食べていると、そんな声が掛かり、央樹は驚いて振り返った。そこには榎波が複雑な表情で立っていた。
「……噂?」
「一週間前から、柏葉がカラーと、女子憧れのブランドの指輪を付けて出勤してて、その指輪が結城とお揃いだって、噂」
榎波が自らの首を指さす。央樹はその仕草に倣い、自分の首元に触れた。暁翔と恋人として繋がった翌日から、暁翔の望みで央樹はカラーと指輪を付けて出勤するようになった。
社内でも人気のある暁翔が同じリングを付けているので、きっとすぐに誰かが見つけたのだろう。
「ああ……これか。噂は真実だ」
「だろうな。ただのパートナーってだけじゃ、あんなに強い威嚇はしない。やりすぎだと思ったけど、恋愛感情もあったんだな」
「あの時は……榎波が悪い」
「謝るんじゃないのか」
榎波が笑いながら央樹の向かい側に座る。央樹は特に気に留めず、食事の続きを始めた。
「榎波が謝るなら、仕方ないから謝るが」
「……謝らないよ。柏葉をパートナーにしたいと思ってたのは本当だから」
榎波の言葉に央樹が驚いてその顔を見つめる。それからゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、僕も謝らない。僕は榎波のパートナーにはならないし」
央樹がはっきりと言うと、そうか、と榎波が小さく笑った。それからゆっくりと席を立つ。
「また、飲みに行かないか?」
「……同期会なら行く。榎波と二人だと、僕のパートナーが黙ってないから、やめておいた方がいい」
央樹は言いながら、視線を目の前に向けた。榎波がそれに首を傾げてから振り返る。
「うわ、結城……」
「お疲れ様です、榎波さん。央樹さんにご用ですか?」
いつもの爽やかな笑みを浮かべ、暁翔がこちらに近づく。見上げた榎波の表情はとても苦いものになっていた。思わず央樹が笑ってしまう。
「……そんな威嚇しなくても、柏葉にもう何もしない」
「そうしてください。また、榎波さんにあんなことしたくないので」
暁翔の笑顔に榎波は大きなため息を吐いてから央樹を振り返った。
「やっぱり、飲みは同期も誘ってにしよう」
「賢明だな」
榎波の言葉に央樹が笑う。それから、今度連絡する、と言って榎波がその場を離れていった。
「油断すると、すぐに誰かに狙われて……こちらの身にもなって欲しいんですが」
不機嫌な顔をしながら暁翔が榎波の座っていた椅子に座る。央樹はそれを見て、くすりと笑った。
「心配しすぎだ」
「そんなことないです。最近の央樹さんは会社でもよく笑ってて可愛いし、部下に対して優しくて可愛いし、仕事してる央樹さんはカッコよくて可愛いし……央樹さんは、周りにどう思われてるか自覚した方がいいと思います」
真剣でまっすぐな目の暁翔に、央樹が唖然とする。それから吹き出すように笑った。
「僕を可愛いなんて言うのは暁翔だけだ」
「それがいいです」
少し拗ねたような顔をする暁翔に、じゃあそれでいいじゃないか、と央樹が笑う。その顔を見ていた暁翔は、その顔、と眉を寄せる。
「めちゃくちゃ可愛いので、会社ではしないでください。それから、これにサイン入れてください」
暁翔は少し怒ったような口調で暁翔が持っていたクリアファイルから紙を一枚取り出す。
「いいけど、脈絡ないな」
仕事の書類かと思い、央樹がそれを受け取る。
「脈絡ならありますよ。誰かが央樹さんのことをいいと思っても、おれのものだって言えるための書類ですから」
暁翔に言われ央樹が書類に視線を落とす。そこには、パートナー届の文字が印字されていた。
「これ……」
「役所に出して証明書を貰います。それを会社に提出すれば、会社でも牽制できますからね」
「牽制……これだけじゃ足りないのか?」
央樹がそっと自身の指輪に触れる。これが社内で噂になっているとさっき榎波から聞いたばかりだ。暁翔は深く頷いた。
「パートナーだって認められたら、長期出張や転勤について考慮されるので、それもあります。あまり長くは離れてられないですから」
本当は毎日一緒にいたいんです、と暁翔が微笑む。そこまで考えていたのかと、央樹は嬉しかった。
央樹はそっと上着のポケットからペンを取り出すと、書類にサインをした。それを暁翔に戻す。
「……末永く、よろしく頼む」
「はい。こちらこそです」
暁翔が嬉しそうに書類をファイルにしまいこむ。それから、そうだ、と顔を上げた。
「今日、一緒に提出に行きませんか? それでその後お祝いしましょう」
「……一緒には恥ずかしいんだが……」
「恥ずかしいですか……じゃあちょうどいいですね――一緒に行くよね、央樹」
突然Domの顔になった暁翔に、央樹が驚く。でもそれは央樹にとって嫌なものではなかった。胸の奥がじんわりと温かくなる。
「答えは? 央樹」
『Say』、と耳元で暁翔が囁く。突然のコマンドに、央樹は真っ赤になった耳を手で覆いながら、頷いた。
「い、く……行く、から……」
央樹が暁翔を見つめる。その目が優しく微笑んだ。
「ちゃんと、ご褒美あげるよ。央樹の好きな優しいコマンド、たくさん使ってあげる」
そっと央樹の手を取り、指を絡める。ぎゅっと一度強く握ってから暁翔は手を離した。
「じゃあ、終業後に」
暁翔はすぐに部下の顔に戻り、席を立った。央樹がそれを見上げ頷く。
すると暁翔がこちらに顔を近づけた。
「愛してます、央樹さん」
こんなところでそんなことを言われるとは思わず、央樹が辺りを見回す。数人周りにいたが、誰もこちらを見てはいなかった。ほっとして暁翔を見上げると、央樹さんは? とその笑顔が無邪気に聞く。
「おれとなら、何も怖くないんですよね」
その通りだ。確かに暁翔なら何も怖くない。けれどそれと、公衆の面前でこんな恥ずかしいことを言うのは少し違う気がする。
そんなことを思って暁翔をみやると、その目が期待に満ちていた。この笑顔を曇らせたくないと思ってしまう自分が恨めしい。
央樹は小さく息を吐いてから、暁翔のスーツの襟を掴んで、その顔を引き寄せた。それから、暁翔の耳元に唇を近づける。
今度は暁翔が赤い顔になる。それでも今まで見た中で一番幸せそうな笑顔だったので、央樹は負けないくらいの笑顔を返して囁いた。
「僕も、愛してる」
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