私が変わる木曜日

5/11
前へ
/11ページ
次へ
 落ちてきたのはビルの外壁の一部だった。古い建物で随分脆くなっていたらしいと、ビルの中から飛び出してきたおじさんに聞いた。  外壁が崩れたところへ運悪く通りがかった私に「危ない」と声をかけたのも、ビルのオーナーであるそのおじさんだったようで、青ざめた顔で何度も怪我はないか訊ねられたけど、私が本当に掠り傷程度だとわかると、ようやく少し安心した様子で今度は何度も頭を下げた。  しかし、私はコンクリートの塊どころじゃなかった。  時間が止まった。それが一番の関心事だ。  その日、9月の第3木曜日からの1週間、私は検証に励んだ。  また時間は止まるのか。  どうしたら止まるのか。  これまでの人生の中で、文句なしに間違いなく最大の、昨夜観た刑事ドラマなんかよりも不可解でありえない事件に、私の胸はクラブで夜を明かすパリピ以上に踊り狂った。  結論から言ってしまえば、時間が止まる体験は再びーーーいや、三度も四度も起こった。  コンクリート片が落ちてきた時に止まり、間一髪避けたところで停止が解けたことから〝私の身に危機が迫ると発生する〟と仮定して色々試してみたのだ。  結果、命の危険を感じた時に止まるのだと確信を得た。  道端で転んだり限界まで息を止めても何も起きなかったけど、神社の石段の最上段から転落しかけた時には、あの時と同じように私以外の時間がピタリと止まった。  ただし、多少の制約もあるようで、時間が止まるのは長くても体感で10分程度。 おまけに、自分以外の人や物を動かすことはできない。  つまり、私自身に危機が迫った時、自分が助かるために動くことができるということのようだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加