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 毎日、毎日、篠原陸翔のためにと運動させられ、きつい食事制限も監視付き。  当の篠原陸翔は長期海外出張が入って不在である。結納まで会わないって、顔も見たくないってことじゃないの? 嫌なんだったらそっちから結婚断ってよ!   そして出張先で出会った美しい儚く小枝のような手足のナイスバディの令嬢と結ばれてくれ!  しかしそんな私の願いも虚しく、結納の日が近づいていた。 ***  結納の朝、私はあまりの婚約の嫌気に寝坊していた。 「お嬢様! なんども、なんども、『起きた』と答えてくださっていましたのに!」  雅代さんの顔色が蒼白だ。お布団から離れたくなくて、寝ぼけながらも返事をしていたらしい。てへっ。  しかし、どうやら結納は新婦側が先に席についていないといけなかったらしい。車で待っていた母が血相を変えてやってきた。 「祥子! あなたなにやってるの! 信じられないわ! 私とお父様が先にいって体裁を整えます。支度次第、急いでくるのよ!」  ぷりぷりと部屋を出て行く母に眉間に皺をよせた。寝坊したのも昨晩ムカついて、なかなか眠れなかったからだ、。と、いうのも昨日母は私の部屋にダイエットの成果を見るべくやってきたのだ。そして、開口一番『祥子、あなたにはがっかりよ』と言った。 「すみません、奥様。過去ここまで頑固な脂肪はありませんでした。私のプログラムをもってしても結局二キロしか落ちませんでした……でも、体力は格段にあがりましたよ!」  謝ったのはダイエット講師のメイサである。 「あなたのせいじゃないわ。あなたは優秀なトレーナーだもの。数々の芸能人を綺麗ボディに仕上げたのを知っているわ。きっと祥子の脂肪が頑固過ぎたのね……」  メイサの肩を軽く叩いて彼女をねぎらい、私の努力は褒めもせず母はあからさまにがっかりして部屋を出て行った。 「祥子様、諦めるのはまだ早いです。大丈夫、私が付いていますからね! では、今度は結婚式まで頑張りましょう」  メイサに励まされるたが、そもそも諦めるもなにも、望んだことなどない。思い出すといっそう腹立たしい。 「さあさあ、ではお着物を……」  雅代さんがてきぱきと着せてくれて、もう昨日のことは思い出すまいと頭を振ったが無駄だった。余計腹が立ってくる。せめてちょっとだけでも褒めたりできないのか。 「わあ! 祥子様! ちょっとだけ痩せておられますよ!」  すると雅代さんが気付いたのか褒めてくれた。 「うう。褒めてくれるのは雅代さんだけよ……」  あんなに食事制限されて毎日、毎日、飛んだり跳ねたり、体を酷使されてんのに、メイサときたら、「結局二キロしか……」とか言ってたな。舐めてんの!? 舐めてんでしょ!  私はね、褒めて伸びる子なの!   ……ほんとイライラする。篠原陸翔、篠原陸翔とみんな、うるさい。  大体さあ、出張に行ってからまだ顔も見てないし、婚約するってのに連絡ひとつもない人だよ?その地点で察するってもんよ。  イライラする。糖分が絶対足りない。 「さあ、祥子様、お仕度ができましたよ。急いで車にお乗りください」  雅代さんに促されてしぶしぶ玄関にむかう。用意してくれていたのだろうハイヤーに乗り込む。  心の底から嫌い。  ああ、こんなに会う前から嫌いな人って初めてよ。  祖父の代から贔屓にしている料亭を貸し切って、結納が行なわれる。 篠原陸翔のご両親は想像通りの綺麗な人たちだった。お父様は学者をしていて、お母様が会社経営されているらしい。 「遅れて申し訳ありません。憧れの陸翔さんにお会いするのに緊張してか、昨晩は眠れなかったようで……三女の祥子でございます」  母が嘘八百ならべてオホホ、と笑った。。  静々と部屋に入ると両親と向こうのメンツも私を見守っていた。あーヤダヤダ、見たこともない人間に憧れるほど夢見がちではないわ。  恨めし気にすらりとした背の高い男の人がスーツ姿で座っている隣を進んだ。  お前が宿敵篠原陸翔か。諸悪の権化め! とギロリと睨むと相手が少したじろいた気がした。  が、しかし、横から見ても浮世離れした人間だった。  嘘、だ、ろ……。  足がすくむ。お母様が『美男子』って言ってたけど、レベチだった……。  あ、あれが本当に一般人だっていうの?  透き通るような白い肌はきめ細やかでまるで最高級の陶磁器のよう。まぶしい!  切れ長の美しい瞳はばっさばっさと美しいまつげに縁どられ、  妖艶なような、それでいて清潔さもあるような……  ああ、こりゃとんでもないわ。なにを形容しても誉め言葉にしかならん!  嫌だあああ!  こんなのの、真正面に座るなんて、嫌だあああ!  必死に母を見ると『ほらみろ』という顔をされた。  でもさ! たった十日で見違えるほど痩せるわけないし、そもそもあんな世に存在するのも恐ろしい美男子に釣り合う美女がいるかっての!  完全に足を止めた私を篠原陸翔は不思議そうに見上げていた。  に、逃げたい……。  怒られてもいい。  逃げたい……。  さりげなく逃走経路を確認するように後ろの障子に視線を向けた時、体がよろけ篠原陸翔がさっと立ち上がって私を支えた。 「……!!」 「よそ見をしていると危ないですよ」  こ、声まで、甘ーい!  さりげなく篠原陸翔が私をそのまま歩かせて、ゆっくりと座らせてくれる。紳士かつ、素晴らしい対応。イケメンは正座していても足しびれないものなのかって思うほどスマートな対応だった。  ほう……と感心するようなため息が聞こえ、母からピンクの視線を感じる。その顔は『私があとうん十歳若ければ……』と言い出しかねないくらい蕩けていた。 「ありがとうございます……」  しりつぼみで言うと、『いえ』と短く答え、篠原陸翔は大して表情も動かさずに頷いて向かいの席に戻った。 「これより結納の儀をとり行わせていただきます」  私が座るのを待って、篠原陸翔の父が場を進めてくれた。結納品を確認したり、私にはよくわからなまま事が進み、なんとか結納は無事におわった。ちなみに結納返しに渡していた高級腕時計を私が選んでいるわけはない。初めて見たぜ、父母よ。  そうして後は食事を……と、私にこの日一番の素晴らしい言葉が聞こえた。 すーっと障子が開いて、次々とそれぞれの席に懐石料理が運ばれてくる。  嘘、こんなご褒美が待ってたの!?    ビバ、パラダイス。教えてくれていたら遅刻なんてしなかったのに!  神様ありがとうございます。今までのダイエットだって辛かったけど、これで帳消しになるなんてちっっとも思わないけれど、ほんの少しだけ報われます!  期待満面で急にニコニコと笑顔になった私。それを見た篠原陸翔はじっと私を見据えていた。 「さあ、頂きましょう。特別にお祝い膳にしてもらったのですよ」 母の弾む声が聞こえる。 「あの……」  しかし、私の目の前にはドロドロしたジュースが置かれていた。……おいおい一体なんの冗談だ。  私の顔が蒼白になったところで母が言った。 「祥子は今、ダイエット中ですの。どうしても半年後の結婚式までに痩せて少しでも陸翔さんの隣にふさわしくなりたいと言って聞かなくて。私も娘の硬い意思を尊重しようと思います」 はあ? これほどまでに一人の人間を過去恨んだことはない。いったい、私が何をしたというのだ。 自分勝手にダイエットをさせ、結納の席でのお膳まで私はなしだって!? 私の怒りは頂点に達していた。もう、これは暴れてやる。婚約破棄になってもかまわないんだから! わなわなと震える私に篠原陸翔が発言した。 「待ってください。いくら何でも頑張っている祥子さんの目の前でご馳走を食べるなんて、おかしいのではないでしょうか」  その発言に私は顔を上げた。そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかったので驚いた。その言葉を受けて、父も続けた。 「夢子、祥子の分もすぐに用意してもらいなさい。これではいじめだ。」 「す、すみません」  父に窘められた母がシュンとする。正直父が助けてくれると思っていなかった私はきょとんとしてしまった。しかも篠原陸翔も母の行動を窘めてくれたのだ。これは、案外いい人なのではないのか?    私の分もすぐに用意してもらえる流れになって、私の気持ちは浮上した。……はずだった。 「しかし、婚約が決まってからの十日間、祥子さんは私のためにただならぬ努力をしたと聞いています」 「え?」 「『継続は力なり』と言います。コツコツとやっと積み重ねたことが、一気に今日の会食のせいで水の泡になるのは忍びないです」  目の前の男が訳の分からないことを言いだしたのだ。なんだって? このまま、みんなでご馳走ウマーッ! で、いいよね?  「私は祥子さんと同じ、ジュースで構いません」  ……。  ……。  ……はあ? 「り、陸翔さんがそういうなら、母親の私も! ね? あなた。お料理は急遽お持ち帰りにしてもらうわ」  そして母が篠原陸翔軍の後ろについて銃を乱射し始めた。打たれるその場の父と篠原家のご両親……。 「あの……」  戸惑う給仕が料亭の支配人を呼び、豪華懐石料理はお持ち帰りお重へと変身したようだった。 「祥子さんが陸翔のために、お食事をこのジュースで耐えておられると思って飲むとひとしおですわね」  なぜか明るい篠原母がそんな謎のフォロー。篠原父も別段気にしない様子でジュースをチュウチュウ飲んでいた。 「実はこれ、話題の芸能人ご用達のトレーナー『メイサ』さんが考案した、美肌、腸活にもよい、ダイエットはもちろんアンチエイジングジュースなのですよ」 「まあ! 美肌にアンチエイジング」  意気投合しておしゃべりし出す、母と篠原母……。  男たちは黙ってドロドロしたジュースを飲んでいた。  これ、私が期待していたのと違う……。  なんか、怒りはどこかに飛んで行ったけど、違う……。  カタン、と窓から見えるししおどしが鳴った。    当然私に懐石料理のお重のお土産はなかった。
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