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婚約してからはさすがに篠原陸翔から申し訳程度に連絡がくるようになった。が、私に会いたくないのかまた海外出張に出かけて行ったらしい。後から聞けば彼は英語、イタリア語、フランス語ができるらしい。はあ、そりゃよかったね。
そんな優秀な篠原陸翔の母はなかなかやり手の実業家で、化粧品会社の社長である。そのせいか篠原母は見た目三十代である。大事な息子の嫁が太っていてもいいのだろうか。しかし、私に嫌悪感があるとは思えなかった。私の肌を褒めてくれて化粧水一式もプレゼントしてくれた。
結納での篠原陸翔を思い出す。
きっと私の姿を見てさぞかしがっかりしたことだろう。なのにそんな落胆顔は一切私には見せなかった。――紳士である。
しかし、こんどは結婚式までほとんど顔を合わせることがなさそうだ。忙しい彼に代わって、なぜか母と篠原母と私の三人で結婚式の準備を進めることになった。
「ついでに新婚旅行も考えておいたらどう? モルディブとか……ああ、時間があればタヒチもいいわね」
「いいですね~。でもオーソドックスにハワイも」
母親二人は私よりはるかに楽しそうである。
「祥子さんはどこか行きたいところはある?」
気を使って篠原母が聞いてくれる。本人の意見が大事なのにね、うちの母ときたらお構いなしよ。
「私は国内で十分です」
そもそも行きたくないとは言えない。
「あら、まあ……でも、そうね、陸翔と相談した方がいいものね。ちゃんと話し合うように陸翔に言っておくわ」
篠原母の言葉ににっこり笑う。ほとんど面識のない男と海外とかどんなムリゲーよ。本当は国内でもごめんだけど、この雰囲気で言い出す勇気はない。だいたい、篠原陸翔だって、私と旅行なんて御免だろう。
「結婚式は新しく駅前にできたセントロイヤルホテルを貸し切りにします。格式は劣るけど、陸翔くんの関係者は海外の方が多いから利便性も大事だわ。なるべく一度にご紹介した方がいいでしょう。……祥子、わかっているわよね」
私をギロリと見た母が言う。私が適当に笑ってスルーするとムッとした顔になった。
「まあまあ……祥子さんだって頑張っていらっしゃるんですから。今日だって、お砂糖も入れずにコーヒーを召し上がっているじゃないですか」
「ほんと、結婚式当日に陸翔くんに恥をかかせてしまいそうで」
「恥だなんて、祥子さんはまだ十代の学生さんなのに、陸翔の方こそ八つも年上のおじさんで申し訳ないわ」
「おじさんだなんて! 陸翔くんほど素晴らしい人間はいませんわ。今回の出張だって、陸翔くんがプロジェクトリーダーであるからこそ、上手く進んでいると聞いていますもの」
どんなに篠原母がフォローを入れてくれても娘を蔑む発言をする母にムッとする。お互い政略結婚なんだから、そんな言い方しなくたっていいのに。
まあ、でも式の準備も、旅行の準備も、顔を合わせないのなら気楽でいいや。亭主元気で留守がいい……とは誰が言ったのか。うんうん、まだ亭主じゃないけど、あんな美男子見てると疲れるから留守でいい。
ピコン……。その時私のスマホのSNSの通知音が鳴った。
――寒暖の差が激しい時期ですが、体調はいかがですか。
鍛錬は気持ちの持ちようです。励んでください。
あなたのトレーナーから体重管理の報告を受けています。
結婚式で会うのを楽しみにしています。
篠原陸翔
絵文字一つない文章って学校からの連絡通知みたいだな。義務的……。
そんなに私が痩せたかどうだか知りたい? くそう。結婚相手の体重管理して何が楽しいのか。
イライラ……
イライラ……
「まあ、陸翔くんから連絡? よかったわね、祥子」
スマホを持つ手をがっつり握られて母に覗き見られる。ほんと、この人ってば傍若無人なんだから。なんでも思い通りになるのが当たり前な人間。
誰が思い通りになるものですか。
えーえー、当日驚かせてあげますよ。
ひとっつも痩せてないってね!
ウエディングドレスは着ないと言い張り、神社で式を挙げてからホテルでパーティという運びになった。ドレスにすると私の痩せてなさに気づかれる場合がある。幸い篠原陸翔に相談すると『了解しました』とだけ返事をもらった。新婚旅行も国内がいいと伝えると『私もそれに賛成です』と返ってきた。
そうして私の復讐は着々と進んでいったのである。
「おかしいですねぇ。ちゃんとメニューはこなしていますのに」
私のダイエットトレーナーのメイサの眉間に皺が寄る。いい気味である。
篠原陸翔も、メイサも、お母様も……。
痩せない私にがっかりするがいい。
そうして私はメイサが肩を落として部屋を出て行くのを確認すると、クローゼットの奥の隠し引き出しから秘蔵のお菓子を出して貪り食べた。
バリボリ、バリボリ……
「しょ、祥子様……。あんまり食べると」
「いいのよ、雅代さん。痩せてなんてやるもんですか。どいつもこいつも痩せたら綺麗になるなんて幻想よ。特にお母様は鏡でも見ればいいわ。少々見てくれが良くなったって、篠原陸翔の美貌に適うものなんているものですか」
「……でも、それでも」
「結婚はするわよ。仕方ないもの。……子どもも努力はする。でも、だからって、こんな強制的にダイエットさせられるのはひどすぎる。食べることは私の唯一の楽しみなのよ? 今まで関心のなかったのに、なによ突然」
「確かに……最近ストレスで姫様のお顔の色がすぐれません」
「さっさと結婚して、子どもを産んだらどこかに隠居するわ。それしかない。篠原陸翔だって、こんなブタには用はないはずよ」
「祥子様、ブタだなんて! 卑下してはなりません」
「もう、こんな生活耐えられないわ」
お菓子を食べる私を雅代さんがしょんぼりとした顔で見ていた。彼女を悲しませるつもりはないけど……。
そうして私はなんとか半年をのりきり、トータル三キロ痩せて、篠原陸翔との結婚式に挑んだ。
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