恋する卵焼き

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「卵を割って砂糖と塩・胡椒を少々……そうだね、そのくらい。そして牛乳を注ぐ……磯川くんの家は出汁巻き?」  織衣から磯川の家は出汁巻きだと聞いていたことを思い出すが、出汁は用意していない。 「確か薄茶色の液体を入れてたような……。うちの母親は牛乳を入れてなかったと思います」 「出汁取るのって大変なんだよね? うちはおばあちゃんの卵焼きが出汁巻きじゃなくて、甘い卵焼きだったから」 「そうなの?」  織衣の言葉に磯川が目を丸くする。 「昆布を水につけておいて、火にかけて沸騰する前に昆布を取り出して、鰹節を入れる。そして鰹節を布巾で濾してできるのが合わせ出汁だね。昆布だけ、鰹節だけっていうのもあるし、あとは煮干しだね。でも煮干しもきちんと処理しないと味がね」 「……面倒くさ」  ぼそっと呟くのは織衣だ。だが隣に磯川がいたことを思い出したらしく、本音をもらしたことにはっとした顔をしている。小夜は織衣の本音にだいぶ慣れたが、磯川の前では本音を呟けないらしい。 「出汁取るのって、そんな面倒なんだ。いつも普通にあったから」 「お母さんは家族の健康とおいしいものを食べてほしいって思って、毎日ご飯を作ってたんだろうね。おばあちゃんもそうだけど、お店もあるしね」  前半を磯川に言い、後半を織衣に向けて慌てて付け足す。 健康と美味しいものを食べてほしいと思うのは、料理を作る人すべての願いだろう。料理が苦手な明美も、野菜が足りないとか昨日お肉だったから魚食べさせなきゃいけないかとか言いながらお買い物メモを作っていた。  わかってるけどと顔に書いてある織衣に対し、神妙な顔をするのは磯川だ。おそらく母親が体調を崩して初めて、それまで当たり前に用意されていた食事や洗濯された衣類が当たり前ではなかったと気づいたのだろう。
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