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③
結衣が目覚めると、空はすでに登校した後だった。
販促事業部の出勤時間は、基本的には9時、退勤は18時となっている。
また、空と言葉が交わせなかった。結衣は、頭を掻きむしったが、直ぐに気をとりなし出勤の準備をして家を出た。
プロ野球開催プロジェクトで追われる一日だったが、予定していた業務を、18時には終えることができた
「吉野さん、今日はもういいから。たまには早く帰りなさい」
西郷どんのあだ名を持つ、親分肌の部長が、結衣に言った。この部長、もと報道部のアナウンサーだけあって張りのあるいい声をしている。結衣は、声だけイケメンと評した。
「はい! ありがとうございます。今日は定時に失礼します!」
結衣は、手荷物を片付けながらそそくさと販促事業部を出た。
吉野家の夕食時間である午後7時には、帰宅した結衣だった。玄関のドアを開けると、廊下の先から空が両手を広げて走って来た。
「ママ! おかえり!」
「ただいま! 空!」
結衣は、空を抱き上げた。空は、恥ずかしげもなくほっぺたを擦り付けて来る。結衣はしっかりと抱きしめた。
「結衣おかえり。ママが早く帰って良かったなあ空」
長秀が、空の頭をなでた。
「うん」
「ああ、お父さん、プロ野球のチケット買っておいたから。いい席よ。見に来てね」
「すまんなあ。楽しみだなあ。空、今度プロ野球を見に行くぞ」
「え! プロ野球! やったあ」
素直に喜ぶ空を見て、プロジェクトのキャップとして嬉しさを感じた結衣だった。
夕食を終えてコーヒーを飲んでいると、空が一冊の絵本を持って結衣の隣に座った。
「ママ、この本知ってる?」
空はテーブルに絵本を置いた。
「え? ちょっと見せて」
エリック・カール著の『パパ、お月さまとって!』という絵本だ。結衣の大好きな絵本でもあった。
「このお話メチャクチャ面白いんだよ。今日、音楽の先生がピアノを弾きながら読んでくれたんだ」
空は、ページを開いた。
『パパ、お月さまとって!』は、女の子がパパにお月さまが欲しいと、おねだりしたところ、パパが月を取って来てくれるというお話だ。頭の固い大人から見れば、かなりシュールな展開で、何とパパは、はしごを使ってお月さまを取りに行くのだ。絵本自体に仕掛けがあり、長いはしごの場面では、ページが長くなったり、月の場面では、これもページを広げて大きくなったりする。初めて見る者は、その仕掛けと予測不可能なストーリーに驚き、心を躍らせる。結衣は、大学生の時に、友人に勧められて読んだ。やはりワクワクしたのを覚えている。
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