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①
吉野結衣は、赤信号でディスプレイの時刻を見た。22時20分。フロントガラス越しに空を見上げる。ビルの間に白い月。結衣には、あまりにも鮮明な月の灯りに秋の空気を感じた。ため息をついてハンドルにもたれる。休む間もなく信号が青に変わり、車を発進させた。
閑静な住宅街。洋風建築のガレージに車を停める。表札には『吉野』の文字。玄関のドアが開くと、結衣の母の節子が出迎えた。
「おかえり、結衣ちゃん。お疲れさま。空ちゃんは寝ちゃったよ」
「ありがとうお母さん。いつもごめんね」
結衣は、声を潜めて言った。ポケットからスマホを取り出して時刻を見る。22時45分。今日も残業。ここのところ残業続き。
「今の、プロジェクトが終わったら、早く帰れるようになるから」
「わかってるって。晩ご飯まだでしょう? 直ぐ用意するから」
そう言って、節子は台所へ行った。
結衣は、息子の空が寝ている部屋をそっと覗いた。ベッドの横顔から寝息が聞こえる。
「空、遅くなってごめん」
そっとドアを閉じた。
食堂でイスを引いて、身体を預ける。
「ここんとこ忙しいみたいだね」
節子も椅子に座った。
「この時期は、いつもこうだから」
結衣が、コロッケに箸をつけた時、
「結衣。確かテレビ局の、はんそくなんちゃら部だったよな」
そう言って、ほんのり顔を赤くした結衣の父の長秀が、隣に座った。ビールの缶を2本テーブルに置く。
「お父さん。覚えてよね。讃岐放送株式会社、販売促進事業部。略して販促事業部です」
箸を振りながら、結衣が言った。
「それそれ。その事業部だ」
長秀は、ビール缶を開けて、結衣の前に置いた。
「テレビ局といっても、いろんな仕事があるの。報道部でアナウンサーをしたかったけど。やっぱ声が良くないとね」
結衣は、ビールをグビリと飲む。
「お父さんのせいだからね。こんな酒焼けの声になったのは」
「へ、結衣が飲んべえなのは俺のせいかよ」
「今の部署も大変だけど、やりがいはあるかな」
「で、今何やってんだ」
長秀は、ビールの缶を開けながら言った。
「販促事業部は、各種イベントの主催をしたり、宣伝をしたりするのよ。簡単に言うと、讃岐放送局のイメージアップになるイベントを、企画運営する部署ね」
そう言って、ビールを飲む結衣。
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