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「ありがとうございましたーーーー」
私は和磨の手を引いて診察室を出た。
相変わらず私は帽子にメガネ、マスク姿のままだけれど、地面の雪は溶けて緑が戻ってきて、もう直ぐ春が近い事を知らせてくれている。
直哉から受けた暴行は思っていたより酷く、私はあの後、数週間検査の為入院して、今日までずっと定期的に病院に通う日々を続けていた。
入院中はずっとーーーー浦部さんが和磨の面倒を見てくれていた。
「弟の事ーーー隠しててごめんーーー」
そう頭を下げてくれた浦部さんを、私はなんて優しい人なんだろうと思った。
自分が同じ立場だったらーーーー私は私に、優しくできただろうかーーー自信はないーーー。
「今日で終わったね!」
言われて、私は和磨に微笑む。
通院は今日が最後ーーーー今日は初めて、和磨も一緒に診察についてきた。
「ママぁ、お昼食べて行こう」
和磨が病院内のレストランを指差している。
入り口に『春野菜たっぷり!』と書かれたメニューポップがずらりと並んでいる。
「そうだね、お会計終わったら、こよっか」
私はそう告げて和磨にメニュー考えておいてねと付け足した。
今日は混んでいるから、会計までだいぶ時間がありそうだし、会計が終わる頃には丁度お昼時になりそうだった。
会計を待つために椅子に腰掛けて、ふと週刊誌が目に入った。
少し前までひっきりなしに週刊誌で見かけた塔野さんの名前はもう出てはおらずーーー週刊誌の表紙は私に、塔野さんは完全に芸能界から消えた存在になった事を教えてくれる。
『「本当に申し訳ない事をした…」
塔野一朔が告白したオーディション不正の全て』
ーーーテレビでも雑誌でもネットでもーーー何度も目にしたこの記事を書いたのは、塔野さんの弟の倉掛さんだった。
私が倉掛さんが週刊文秋の記者であるのは嘘で、本業が探偵である事を知ったのはこの記事が出た後だったけれど、倉掛さんは本当に知り合いの週刊文秋の記者に頼んでこの特集を自分で組み、原稿を書いた。
「裁かれるべきでしょ?兄貴は。
ーーー琴葉ちゃんとの不倫じゃなくてーーーー本当は、こっちの件でーーーーー」
淡々とそう言った倉掛さんを、塔野さんはあの日止めなかった。
「そうだな」
そう短く返事をして、自ら、倉掛さんの取材に応じ、ありのままを書く事を許可した。
ただ、塔野さんが望んだ悠貴さんの自殺についてのーーーー塔野さんがオーディションで不正を働いた事に対する謝罪会見は認められずーーーーー叶わぬものになった。
塔野さんは今ーーーー世間の人から顔も見たくないという事で、完全に芸能界から消え、テレビにも雑誌にも一切登場しなくなった。
きちんと表に立って謝罪しろという世論もあったけど、私との不倫の記事が出て間も無くしてーーーーオーディションで不正を働いて若手俳優を1人死に追い込んだ塔野さんの顔を『もう2度と見たくない』と考える世論も圧倒的に多かったのだ。
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