スタアたち

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 突き当たりの扉を開け放ったとたん、強い向かい風が吹きつけてきた。今度は椅子でも投げつけたのか、壁には大きな穴が空いている。その前にスタアが立っていた。今にも飛び降りてしまいそうだ。 「あのぉ、ちょっと!」  ぼくは一生分の勇気を振り絞り、彼女を呼び止めた。同時に、手汗でよれよれになった手紙を突き出す。  スタアは振り返った。あらためて見ると、ものすごい美人だった。知的でありながらタフさも感じられる焦げ茶の瞳。びろうどのクッションみたいな、ふっくらした唇。長くまっすぐな栗色の髪。  彼女はぼくとぼくの手紙とを交互に見た。「あたしに?」 「へっ、はい!」 「ふうん……」  ついに手紙を渡すことができ、ぼくは胸がいっぱいになった。ところが、次に彼女はとんでもないことを言い出した。 「ねえ、君、一緒に来る?」 「えっ」  ぼくは破れた壁に目をやった。穴は大きい。二人でも余裕で通り抜けられる大きさだった。  彼女は、ここから一緒に飛ぼうと言っているのか。その先は、どうなるのだろう。今までずっと憧れてきた世界が広がっているのだろうか? スリルとショックとサスペンス、そして「ありえない!」に溢れた世界が……  ぼくは唾をのんだ。市丸さんのニヤニヤ笑いが脳裏をかすめた。 「……あの、やめときます。もうちょっとこっちで頑張ってみます。スミマセン、誘ってもらったのに」  スタアは形のよい眉を少し上げたが、「そっかぁ」と言って手紙を振ってみせた。 「ま、これはもらっとくね」  バチっと火花が飛びそうなウインクを最後に、彼女は助走をつけて外の世界に飛び降りていった。下の通りから「スタアだ!」という声と人々のざわめき、車のクラクションが聞こえてきた。  ぼくは無事に大学を卒業し、就職した。立派に大人の仲間入り……と思いきや、市丸さんとは真反対の体育会系上司にビシバシしごかれてスタア待ちする暇もないくらいだ。仕事は正直しんどいし、台風接近中に外回りを命じられた日には、スタアの彼女と一緒に行かなかったことを後悔するばかりである。でも、だからこそ、たまにスタアに出くわしたときの喜びは大きいのかもしれない。 「あれ、スタアじゃないか?」  強風のため徐行運転する電車の中、上司が窓の外を指す。見れば、増水した川の上を吹き飛ばされていく人の姿があった。広げた黒い傘で何とか進路を調節し、反対側の河岸へ着陸しようとしている。苦戦中にもかかわらず、スタアはぼくらに向かって大きく手を振ってくれた。 「すげえな……。お前も頑張らないとな」  感動するぼくの隣で、上司が言わんでいいことを言った。  手紙を渡した彼女からの連絡は無い。だが、ぼくは連絡先を変えないでいる。
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