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「興洲よ。吾輩の特訓によくぞ耐え『究極の我慢』を会得するに至った。お主の流した血と、汗と、涙は決してムダではなかったのだ」
「閣下……ありがとうございます」
「吾輩はこれから、地球征服を実行するため人間界へ赴任することとなった。よいか、興洲。吾輩の教えを守り、常に己の『究極の我慢』の研鑽に努めるのだぞ」
地獄の特訓から解放される喜びで、火砕の目に思わず涙が浮かんだ。大魔王は勝手に別離を惜しんで涙していると勘違いをし、感動のあまり喜びの笑い声を上げた。
「ヴぅわはははは! 魔王たるもの、涙をも耐え忍べなくてどうする。名残り惜しいのは分かるがな。人間界に降り立つと、吾輩は世を忍ぶ仮の姿に身をやつすことになる。もし会う機会があっても、気安く声をかけるでないぞ」
「はい、今までありがとうございました!」
礼を述べる火砕に、大魔王は懐から取り出したパンフレットを渡しつつ告げた。
「あ、そうそう。お主はこの後、ここへ入学し、魔王のなんたるかを学ぶがよい。入学金は耳を揃えて五億魔貨、別途授業料もかかるがな。ヴぅわはははははは!」
「魔王……養成専門学校?」
その後、火砕は専門学校に多額の金を支払って魔王たる心構えを学んだ。そのお陰で、今も学費の残りを払い続けているのだが。
とまあ、どうでもいい昔話に思いふけっていると、予定の時刻が近づいていることに火砕は気づく。
「さて、仕事の時間だ」
・・・・・・・・
火砕は小さな体躯の少年戦士と対峙した。道着姿で尻尾の生えたその少年は、容赦なく怒涛の拳や蹴りを火砕に叩き込んで行く。挙句にさめざめ波とか言う、べらぼうにでたらめな威力を持つ衝撃波の直撃を受け、この世界へ来たときの第一印象通り、細長い山をいくつも破壊して吹っ飛びながらこのまま消し飛ばされるのではないかと火砕の胸中は穏やかではなかった。ぴっちりしたスーツの動きにくさが、憂鬱な気分に拍車をかける。
しかし、これも仕事だ。やりたい放題やられ、身体の節々から悲鳴が聞こえているが、それらを『究極の我慢』で黙らせ、火砕はよろよろと立ち上がる。そろそろ仕上げの頃合いだ。今夜の晩酌のアテを何にしようか、などと考えていると、少年が急に飛び蹴りを繰り出して来た。
「みなの者、おらにチカラをくれだがや! ピッチリ大魔王、おらは人気者蹴りを受けるがいいとね!」
不意に喰らった飛び蹴りが、火砕のみぞおちに深く突き刺さる。目ん玉と胃の中身に収めていたものが飛び出しそうになった。が、これが苦痛を止めるよいタイミングだと気づく。少年が飛び退ると、絶命を窺わせるように身を震わせて、口を大きく開けた。演技も要らないほどの苦しみなので、自分でもうまく演出できているという自信があった。
「グッ……ウゲゲゲェ」
胃の中身と一緒に収めていた例のものを空中高くへと吐き出すと、自身に爆発演出用の術を施し、ド派手に爆散させながら煙に紛れて空間を移動した。恐らく少年戦士には爆発で消し飛び、魔王が死んだように見えたであろう。次元を跳躍する中で、火砕は一仕事を終えた満足感に浸っていた。
・・・・・・・・
『DSS』本社ビルの前に出現した火砕は到着するなりぴっちりしたスーツを脱ぎ捨て、自前の喪服のような真っ黒い背広に着替え、黒いネクタイをだらしなく締めた。早速タバコに火を点け、一服吐き出す。
「ふう。しかし、見かけによらず無慈悲なガキだったな。魔王をナメくさりやがって。ガキのクセに本気で魔王を殺しに来るなんて、世も末だぜ」
そう呟きつつも、今回は目立った失敗もなく、賽河原に怒られることもなさそうで、火砕はひと仕事を終えた充実感に満ち、満足気にタバコを燻らせていた。
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