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監 督
エキストラの話から逸れて、といいますか、まったく関係ないこともないのですが、(あ、こういうまどろっこしい表現、じつは紙葉は大好きなのですよ🤭)、大島渚監督(1932~2013)をインタビューさせていだいたときのエピソードを書いておきたいとおもいます。
まだ、フリーランスになりたての頃でした。
新幹線の新大阪駅まで、大島渚監督を迎えに行きました。
紙葉に同行していたのは、取材をアテンドした女性(20代)。紙葉より数歳、年上の方。小さな編集プロダクションの人(数年後、紙葉は彼女に告白して、見事に振られてしまいましたけれど🥺😅)。
当日、監督が講演会場へ向かうタクシーのなかでの約30分ほどの取材……ということでしたが、なかなか初対面の車中でのインタビューは難しかったことなど、歯がゆさをともなった苦い体験でした。
挨拶は交わしても、なかなか、監督は自分からは喋ってくださろうとはしませんでした。当時、大島さんはどこかしら、せつなげで、なんとなくイライラされておられたような印象を持ちました。
やりたくもない講演に大阪くんだりまで……みたいな(個人的印象です)。
『講演ばかりこなしていると、こちらの頭がバカになる……』
といったようなことも、タクシーの中でぼそりとこぼしておられました。
『いまは、映画を撮る機会がまったくなくて……』といったグチも……。
これではまったく記事にならない、記事にできないので、そのまま紙葉も、講演を聴きました。
たしか監督の同窓生の方が、会長か社長をしておられた、中堅建設会社の取引先や社員が主な講演参加者だったのではとおもいます。
講演のなかで、とりわけ印象に残っていたのは、欧米、特にアメリカの映画撮影と日本のそれとの違いのお話でした。
日本では映画監督というのは絶大な権力を保持してして(当時。いまはどうなのかはわかりませんけれど)、おそらく、天皇というフレーズを使っておられたはずですが、下の者は、なんにも異議申し立てはできない、監督がこーするんだ、と言えば、そーしなければならない独特の権力構造社会……なのだそうです。
あくまでも、日本の場合です。
監督がGoサインを出さない限り、次の撮影に移れない……のが日本システム。
けれど、アメリカでは、
『監督が、俳優や撮影スタッフに向かって、そのつど、アーユー・ハッピー? とたずねるんです。ハッピーなら、次の撮影に映る……』(意訳)
といったような内容でした。あくまでも、大島監督の講演でのお話です。
つまり、こういうことです、出演者やスタッフみんながハッピーなら、映画館で観る観客もハッピー!……という流れ、そういうハッピーの連鎖のスタイルだということを、特に強調されていました。
このフレーズだけが、いまだに筆者の頭にこびりついています。
講演のあと、用意されていた監督を招いた食宴に、紙葉も誘われたのですが、そのときどういうわけか同席するのをお断りして、さっさと一人で帰ってきました。
たぶん、相手(監督)にもそれほどいい印象を与えてはいなかったのでしょうし、おそらく、紙葉自身も、当時の自分の仕事についての疑問や『このままでいいのか……?』といった漠然とした将来への不安が大きくのしかかっていたのかもしれません。
というのは、どういうわけか、その頃、芸能人の方の取材が多く、いまの若い方はほとんど知らない名でしょうけれど、布施明さん、歌手の瀬川瑛子さん、タレントの東ちづるさん……など立て続けにインタビューしていて、本当は大学教授になりたかった筆者には(オイオイ😅)、どことなく場違い感といったものがぬぐいきれず、また、フリーランスとしてやっていく覚悟もなにもできていなかったのでしょう。
そういうとまどいを抱えつつ、偉大な人を前にすると、こちらのそういった内面の揺れを見抜かれてしまいそうで、それが怖かったのかもしれません。
また、有名人より、むしろ無名の新人たち(当時の自分自身を含めて)の思いであるとか、苦労であるとか、そういうことを取材して記事にしたい気持ちのほうがとても強く、芸能人関係のインタビュー依頼をお断りしているうちに、しぜんとオファーがこなくなりました(ひゃあ)。
ですから、まさか、その後、自分がエキストラをやるなどとは想像すらできなかったのでした(´∀`*)ウフフ。
ほら、本エッセイの1P冒頭で使った、
『擬似連れションの輪』
というフレーズも、タネを明かせば、実のところ、この大島渚監督の、ハッピー連鎖論から着想を得ています(´∀`*)ウフフ。
あ、ご存知だろうとは思いますが、あの北野たけしさんを映画の世界に引きずり込んだのは、この大島渚監督です。
映画『戦場のメリークリスマス』に、たけしさんを大抜擢して出演させたのでした。これがなければ(大島渚監督がいなければ……)いまの、北野たけしさんは存在していなかったはずです。
ほんとうに、何がどうなるのか、わからないのが、人生ですね。
人の一生は、計算を超えた、ぶっつけ本番の連続ドラマのようなものかもしれません……あたりまえのことなのでしょうけれど💬🐣
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