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もともとコピーライターだった筆者は、それと並行して取材記者(人物インタヴュー中心)をしていました。市販ビジネス系情報誌、業界誌、広報誌など。フリーランスなので個人事務所ですが、エキストラをはじめる前、本業の仕事で俳優の今井雅之さん(1961~2015)を取材させていただく機会がありました。
しかも二度。ビジネス情報誌の常設インタヴュー記事とフリーペーパーの特集記事で。東京と大阪で二回、お会いしました。
元自衛隊員の今井さんは、芸能界入りしたときの苦労話や悔しい思いをした経験を率直に吐露してくださいました。(そのおりのエピソードは、章を改めて後掲。)
いまもごくたまに今井さんのことを偲ぶたびに、前頁で触れた“連れション”という、ある種特殊な、それでいて深奥に潜むなんともいえない日本の風土ならではの独特の精神構造に思いを馳せてしまいます。ごくわかりすくいえば、“連れション”こそ、同志、同盟の証なのであります。
たとえば。
三国志の劉備玄徳、関羽、張飛の桃園の誓い。義兄弟の契り。生まれしときは違えども、死するときは同じとき……みたいな精神世界は、まさに、紙葉的には“連れション”そのものなのです(笑)。
あるいは。
日本の歴史のなかで、この“連れション”を大々的に演出した武将が一人います。
豊臣秀吉です。
当時はまだ、豊臣の姓は皇室から賜ってはいません。羽柴秀吉の時代。
秀吉の天下統一の締めともいえる小田原攻めのときでした。“連れション”の相手は、ほかならぬ徳川家康。
秀吉は家康と“連れション”しながら、家康に国替えを命じたのでした。それまで家康の地盤であった駿河、遠江(静岡県を中心)から、関東へ。つまり、秀吉は、家康を関東へ追い払ったのですが、この連れションエピソードは、100%、秀吉の創作だとおもっています(個人的見解です)。
祐筆(文書専門の公設秘書のようなもの)に秀吉はそういうふうに書かせ、いわば、家康とは“連れション”の仲なんだぜ、連れションしながら国替えを承諾させたんだぜ……と他の武将に対して大々的に広報宣伝したのでしょう。秀吉ほど、広報宣伝力に長けた武将はいないのです(あくまでも個人的見解です)。
なぜ、“連れション”したことが、それほどの広宣力を発揮することになるかといえば、
互いが無防備な体勢で一緒に用を足す
↓
信頼・同志・仲間・同盟の演出
↓
血盟以上に、人間味という観点から
インパクトのある所作
だからです。互いに誓約の文書を取り交わした、というよりも、“連れション”の仲なんだと広報宣伝するほうが、より人間味があって、より真実味があって、背後の嘘臭さを払拭できるのだとおもいます。
映画づくり、ドラマづくりも、いわば精神的な“連れション”を増やしていくことが需要なファクターになるのではないかしらなどとおもったりもします。疑似連れション……とでも呼べばいいかもしれません。もちろん、女性も含めて、です。
この大きな連れションの輪、それは同心円なのか、楕円状なのか、アメーバ状なのかはそのときどきによるのでしょうけれど、紙葉的に表現するならば、『疑似連れションの輪』が巨大になればなるほど、作品として成功するものなのでしょう。別の章で、映画監督・大島渚さん(1932~2013)を取材させていただいたときの映画づくりのエピソードにもふれたいとおもいますが、まさしく、映画づくり、ドラマづくりは、精神的“連れション”の連鎖のなかで出来上がっていくものなのかもしれません……
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