53人が本棚に入れています
本棚に追加
火天の城 雑感
『火天の城』の原作者は、 直木賞作家、山本兼一氏(1956~2014)。
2004年に、『火天の城』で、松本清張賞を受賞(直木賞候補にも)。
2008年、『利休にたずねよ』で、直木賞受賞。(映画化は2013年)。
肺腺癌で、57歳没。
あまりにも早すぎる病没でした🥺
これからというときに……本当に悔やまれてなりません。
そして、こうも思うのです。生き続けることも、また、大切なのでしょう。この世の中、なにが起こるかわかりません。ありえないことは、ありえないのです。ですから、みなさんが、「今回もコンテスト選外だった……」と悔しい思いができるのも、まさに、いま、生き続けているからこそ、ですよね。そして、それは早逝した方々からみれば、とっても羨ましいことにちがいないのだろうとおもうのです。
本エッセイのタイトルは、『エキストラ☆エトセトラ』。
実は紙葉的には、「エトセトラ」のほうに比重を置いているつもりなのです。創作をはじめたばかりの方、あるいは、小説投稿サイトで、自分の作品に対して悪意に満ちたコメントや酷評を一方的に垂れ流されてこころを傷つけられた方、5chなどのWeb掲示板で根拠のない誹謗中傷でトラブルに巻き込まれておられる方、仲の良かったエブクリエとの仲違いや誤解、意思疎通に悩んでおられる方……、突然のスランプやウツ的状況のなかで書くことができなくなって立ち止まっておられる方などに対して、
「なにがあろうと書き続けてくださいね、生き続けてくださいね……」
的なメッセージとして、紙葉はこのエッセイを書き始めたつもりなのですよ。
ですから、なかには、小説作法的なもの(心構えとしての)、固定観念の打破に役立つエピソードなども時おり紹介していくつもりであります🤗
いま、言えることは、コピーライター時代に紙葉が造ったフレーズ、
行き詰まりは、決して生き詰まりじゃない
といったようなところでしょうか……。
さて、話を『火天の城』に戻しましょう。
『火天の城』の映画化は、2009年。
いまから、十年ちょっと前。
実はその当時、紙葉にとっては、プライベートでも最悪の時期なのでした(章を改めて後述)。だから、エキストラ……で気分転換していた、というのも隠された理由の一つかもしれません(´∀`*(後述)。
上の写真二点は、映画公開時のパンフレットから。ピンボケ、おゆるし(きちんと撮れれば、差し替えますね)。
紙葉が参加した撮影現場は、やはり、滋賀の山奥でした。数回、参加したはずです。
撮影現場には、原作者の山本兼一氏も来られたようです。ちょっとしたミニ講演もあったはずなのですが、日程が合わず、同氏にはお会いすることはできませんでした🥺
里人に扮したときと、雑兵に扮したときの二回(それぞれ撮影日が異なる)のことはよく覚えています。
雑兵のときは、大名行列のような行進のなかにいた撮影でした。淀君のときと違って、文字通り“その他大勢”のなかに埋没しておりました。
さて、里人に扮したときに、なぜか、抜擢されて(!?)、水野美紀さんの近くに配置されることになったのでした。
(いま、その里人に扮したときの写真を探しております、出てくれば公開しますね)
そして、大きな穴のなかに、転がるシーンも撮影しました。なぜ、転がるかといえば、火薬による爆発で、大勢の里人や大工、石工たちが、吹き飛ばされて、爆発でできた巨大な穴の中へ転げ落ちるシーンでした……。
最初のコメントを投稿しよう!