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“天啓”ってこうして降りてくるんだな。
私の名前は後藤。ごくごく普通のサラリーマンです。茨城の田舎で育ち、大学を卒業してから東京の会社に就職。それから10年、特に山あり谷ありの人生を送ってきたわけではなく、川の流れのように、周りに流されるままに生きています。
見た目も中肉中背、平均的な容姿。お金は、もっとあったら嬉しいけど、生活していくうえでは困ることも無い感じ。特別な趣味も無くて、休みの日は健康のために始めたフットサルと、雨の日には動画を見ながらごろごろしているのを繰り返している日々。
一応彼女はいるけど、30歳を過ぎた私と、30歳になっていない彼女とで、ちょうど“何も起こらない”バランスの感じ、というか。停滞期といえばそう言えるかもしれないけど、それで二人の間に何か不穏な空気が流れることも無く。
とにかく、人生山あり谷あり、っていう言葉とは縁遠い生活を送っていました。
そんな私にもある日、変な転機が訪れました。
健康のために始めた会社の仲間で週末に軽く嗜んでいたフットサル。今日もいつもの仲間が集まって雑談したりボールを蹴ったりしていました。
基本フットサルはグランダーのボールでのパス回しで相手のゴールに迫っていくのが普通のゲームの流れ。
ゲームの終盤、体力が限界になっていた私は、相手のカウンターに追い付けず、歩きながらディフェンスに戻ろうとしていましたが、まだまだ体力の余っている若い菊池が相手のパスコースにうまく割り込んでボールをカットしつつ前線にクリアしてきました。その時の菊池の蹴ったボールは相手チームの田中の足に当たって軌道が変わり、猛烈な回転がかかって浮き上がったボールは中盤を歩いていた私の顔面めがけて見事にヒット。疲れてフラフラだった私はものの見事にそのまま後ろに倒れる形でノックダウン。
その時、体は倒れていきながら頭の中では倒れていることを自覚することなく、上の方へ、空の方へ意識が昇っていきました。そして空からフットサルコートを見ている自分がいました。
ゆっくり倒れている自分。サイドラインを割って転がっていくボール。驚いた顔で駆け寄ってくる菊池。何か叫んでいる声が見えます。
声が見える?
菊池の体から沸き起こっている青い靄と「後藤さん!」っていう大声。その二つが一緒になって、倒れていく私と同じスピードで地上の私の体に吸い込まれていきました。
矢のように真っすぐ一直線に地面に倒れていく私に突き刺さって、消えて行った青い靄と声。
その瞬間、
“直撃ってマジか!後藤さん、大丈夫か!”
“しまった、もっと丁寧にパス出せばよかった、チクショウ!”
そんな言葉が空に浮かんでいる私の頭の中に一気に響いてきました。
その声を聞いた途端一瞬で地面の体に落ちていき、空に浮かんでいた私と地面に倒れて行った私は元通り“ボールを顔面で受けてノックダウンされた”状態に戻っていきました。
「そりゃ5メートルの距離でも急に軌道が変わったら避けられないって」そう言いつつ体を起こします。目を開けるとチカチカ星が回っていました。
さっきまでの上空から自分を見ていた一瞬の光景はあっという間に記憶から消えて、現実の頭の痛みが体を支配してきました。
「後藤さん、大丈夫っすか?」菊池が心配そうな表情で、倒れている私に手を差し出しつつ、声をかけてきました。
「あぁ、大丈夫。目の前で星が飛んでるけど」そう言って菊池の手を取って起き上がる私。ちょっと頭がフラフラしたので、交代を待っていた安部にフィールドプレイヤーチェンジをお願いして、ベンチに戻りました。
ベンチに戻ってタオルで顔の汗をぬぐいながら、自分の顔の感触を確かめていきます。大丈夫、出血はしていない。
私の彼女でもあり、このフットサル仲間のマネージャーっぽいことをしてくれている関山がスポーツドリンクを手渡しながら、
「大丈夫?きれいに顔面に当たっていたけど」
「まぁ、大丈夫。よくあることだからね」
サッカーをやっていれば壁役の人にフリーキックのボールが当たることはよくあることだし、今までも何回もボールは当たっていたし。
「ならいいけど。あなたのお顔がこれ以上かわいく変わっても困っちゃうしね」
と笑いながら話す彼女の体の周りにもやもやと浮いている黄色い靄が私の方に流れてきました。スポーツドリンクを飲んでいる私はドリンクと一緒にその靄を飲み込んでしまいました。
“私が絶対助ける!”
“でも本当に何事も無さそうでよかった”
“倒れた時は心臓が止まるかと思うくらい、本当に心配したんだから”
そんな言葉が一瞬で私の頭の中で急に浮かんできて、思わず驚いた私は飲んでいたスポーツドリンクを危うく吹き出しそうになり、ゴホゴホっとむせてしまいました。
「後藤くん、大丈夫?」そう言って顔を覗き込んできた彼女。
「関山さん、今何か言った?」
「え?何?大丈夫かって聞いたのよ」
「あぁ、そうだよね。いやなんでも無い」
「本当に大丈夫?頭うったんだから、病院に行って検査受ける?」
「大丈夫大丈夫。まったく問題なし!」
そう言って力こぶを作った私を見て笑う彼女。
うん、黄色い靄も頭に響いた声もただの気のせい、と思いフィールドの方を見ると、試合はシーソーゲームのまま。菊池や阿部も声を出しながらパスを出したり、ドリブルしたり、正常に時間は過ぎているし、おかしなものの見えてきません。
他人の思いが頭に浮かぶなんて、ただの気のせいでしょう。
自分の倒れた状況から相手がそう思ったんだろうな、という事にしてぼんやり試合を見ていました。
私の代わりに入った安部は元気いっぱいにフィールドを走っていました。安部はテクニックもあるしスピードもあっていいプレイヤーなんですが、勝負に行くときに「弱い」選択をしがちな癖があって、シュートに行かずパスを選択したり、相手を躱せるだけのタイミングがあっても安全なバックパスをしたりするのがもったいない、といつも言われていました。
今もゴールまではディフェンダーただ一人、村山だけなのに、突破の選択肢を取らず横にドリブルをして時間を稼ぎ、後ろから菊池が来るの待っていたりしていました。
見かねた私は、
「安部!いけいけ!勝負勝負!」と声を出して発破を掛けました。
すると、自分の声が赤い靄をまとって真っすぐ安部に向かっていき、背中に刺さるっていう瞬間にすっと安部の中に吸い込まれていきました。
私は「え?なんなの?今の赤いの?」と、目の前で起こったことが理解できないでいると、安部の動きが変わりました。
目線を村山に向けたと思ったら、ドリブル前進を開始。そして相手の前でくるっと一回転。プロ選手でも出来ないだろうと思えるくらい、きれいにマルセイユルーレットを決めて村山を抜き去りました。抜かれた村山も「え?」という顔をしています。そしてはっと気を取り直して安部の方へ振り返りましたが、安部はもうゴールキーパーの及川と一対一。落ち着いてゴールキーパーの股を抜くサイドキックを見せて、ボールはそのままゴールへ。
「うおおおお!安部ぇ、スゲー!」っと叫びながら、自陣に戻ってきた安部を迎えた菊池。私もあまりのスーパープレイにベンチを飛び出して安部に向かっていきました。
安部も信じられないけど、やってやった!っていういい表情をしていました。
「後藤さん、やりました!応援、あざっす!」そう言いながらハイタッチをしてきたので、私も嬉しくてハイタッチで応えます。
「ナイスゴール!イヤーいいもの見せてもらったよ」
「後藤さんがいけ!背中を押してくれたから、やってやれました!」
背中を押してくれた?さっき自分の目の前で起きた赤い靄が阿部の背中に吸い込まれていったことかな?とも思いました。けどまぁ、比喩で使うフレーズだいな、と思い、深く考えませんでした。
そのまま試合は進行し、趣味で集まった仲間のフットサルは点を取ったり、取られたりでまったり終了。言葉が見える、っていう事もその後は起こることが無く、フットサル交流会は終了、現地解散になりました。
私と関山は菊池や阿部と逆方向の立川方面に帰るので、駅のホームでみんなと別れて二人きりになりました。
「なんか食べて帰る?」と聞く私に、
「そうね、じゃ、いつもの居酒屋で」と答える関山。そして、ちょっと心配そうな表情になって、「頭大丈夫?」と聞いてきました。
その時少し黄色い靄が関山の後ろに見えた気がしました。
「そりゃいつも頭は寝ぼけてばかりだけど」
そう言っておどける私に、
「そうじゃなくて、今日のボールが当たった後」
「うん。多分大丈夫だと思うよ」そう答えながら彼女を見ると、黄色い靄は消えていました。気のせいが続くなぁ、と思いつつ、ちょっと心配になってきた私は、
「ねぇ、言霊ってさぁ、あると思う?」っと、安部の時の事を思い出しながら聞いてみました。
「急に変なこと聞くのね。まぁ、あるんじゃない?って思うことはあるわよ」
「え、ほんとに?」
「自分から聞いといて、その反応はなんなの、と思うけどね。でも、相手を心配したり、応援したりする時の気持ちが伝わった、と、思う、思いたい瞬間はあってもいいんじゃない?」
「あぁ、なるほど、それはそうだね」
「何よ、変なこと聞くのね。やっぱり頭を打ったせいじゃない?」
「大丈夫大丈夫、いつも通り、いつも通り」
その時は、そんな感じで会話を切り上げて、ホームに入ってきた電車に乗っていつもの居酒屋でビールを飲んだ後、お互いの家に帰りました。
その日以降、1年以上、言葉が見えること無く、過ぎていきました。
季節は廻り、春の足音が聞こえてくる3月。私の会社にも異動のシーズンが来ました。今までは奇跡的に住んでいる立川から通える範囲の拠点の移動でしたが、今回は茨城の実家に近い支店への異動となりました。その異動の話を聞いて、最初に考えたのが彼女をどうしようか、、、と思って事は会社には内緒ですが、、、ちょっと身を固めようかとも思ったのも事実。彼女も来年30歳になるタイミングも来たので、微妙に“結婚”っていう単語が頭をよぎっているのは間違いなく。
デートの時に寄ったイケヤでは、部屋のコーディネートコーナーにいる時間がいつもより長かったり、小さい子供を見る時の目線が今までとは違ってきたのも事実。
そんなタイミングでの異動となると、遠距離恋愛?とか、最悪、これで終了、っていう事も頭をよぎったりしたり、しなかったり。とはいえ、そんな選択肢はとりたくないのも事実ではあったし。
転勤の話を受けて、最初に関山に合った時、なんとなく私の出している気配を感じたのか、いつもより緊張した雰囲気に変わりました。
いつもの居酒屋に行って、いつものカウンターではなく、個室に入り、いつも通りにビールを注文。雑談から入って、徐々に異動の話に近づけていきます。
「そろそろ春だね」
「そうね、梅が咲き終わったからねぇ。今年は上野にいけなかったね」
「あぁ、そうだね。でも、上野にはいつでも行けるからね」
「そうよね」季節の話しかしていないけど、気のせいかお互いにビールのスピードがいつもより早い感じがします。
そんな中、彼女の輪郭から、青い靄がたっているように見えてきました。
そういえば、以前にボールが顔面に当たった時、心配して駆けつけた菊池の言葉は青い色をまとっていたな、なんてことをぼんやり考えていました。
「4月から、茨城の支社に異動になったよ」そう切り出した私。彼女の周りには青い靄が立ち込めているままです。
「やっぱり異動なのね。おめでとう、なのかしら?」
「うーんどうだろうね。色々家族回りの事が近くなるのは良かったとは思うけど」
「後藤さんは家族思いですもんね」
「まぁ、普通だと思うけどな」
「そうよね」
関山の家はちょっと複雑だ、っていう話は知っていたので、あんまり触れたくない話題ではあったので、二人の話に戻しました。
「関山さんは異動、無いの?」
「私は変わらずね。何事もなく、一年が始まると思うわ」
「そうか、変わらず、か。それはそれで良かったのかもね」
その時、彼女の周りに立ち込めていた青い靄が少し揺らいで、私の方に流れてきました。
無意識にその青い靄に手を伸ばして触ってみた私。
“独りぼっちはさみしい”
“一緒に行きたい。でもそういう話をしたら、今の関係が壊れちゃうかもしれないし”
そんな感情が言葉になって流れてきました。そうか、そう思ってくれていたんだ。
私は個室の天井を仰いで目を閉じ、深く息を吐きました。
その息は赤い靄をまとっていました。そして、天井まで登っていき、その靄にはこう見える言葉がありました。
“いけいけ後藤!お前は関山を独りぼっちにしていくのか!”
“決めろ後藤!お前は目の前の女性を放っておけるのか!”
私はその赤い靄を見ながら「あぁ、言葉が落ちてくる」と思いながら、手を伸ばし、その靄を手に掴み、深く息を吸い込みました。
靄を吸い込み、視線を彼女に戻した私は、こう話していました。
「一緒に、行く?」
彼女の青い靄は消え、黄色い靄が代わりに彼女の周りに立ち込めてきたように見えました。
私は彼女の左手で彼女の手を取りながら、右手で彼女の頭に手を置いてみました。黄色い靄の言葉が流れてきます。
“一人にされたらもう、どうしようかと思ったんだから”
“私は絶対この人と一緒に幸せになる!”
目が合った彼女は嬉しそうに笑っていました。
その日、彼女から答えは聞いていなかったけど、十分な回答はもらえたと思う。
元々、異動の話をして、彼女の出方を見るだけのつもりだったけど、赤い靄に込められた自分の本心を吐き出して、また自分の中に取り込めたことから、ほんの数分でこんな展開になるとは居酒屋に入った時には想像もしていなかったなぁ。
良く“天啓を授かった“なんていうけど、実際は自分の言葉を自分の中で確信に変えるプロセスの事なんじゃないかなぁと思ったりしました。
そして4月。新しい支店での仕事が始まりました。早く二人で、新しい環境になれなきゃな、と思いながら、
“いけいけ後藤!お前なら出来る!”
“決めろ後藤!幸せを掴み取れ!”
そう思い深く息を吐きだしてみました。
その息は何色にも染まることなく、桜が満開に咲いている偕楽園のピンク色の空を上っていきました。
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