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「あーあ、言わんこっちゃない」
彼は呆れたように言った。
「それだから落ちて来るんだよ」
サクッ、サクッっと、彼が歩を進める度に足の下の落ち葉が音を立てる。
僕は目の前にいる男の言っている意味が分からなかった。
僕が落ちた?冗談じゃない。俺はお前らなんかとは違う。
僕がそう言うと彼は吹き出しながら笑い始める。
何がおかしい。
「まだそんなこと言ってるのか?」
そんなこと?
彼はこちらを嘲るように鼻を鳴らす。しかし、彼の顔の表層に浮かんでいたのは笑みではなく、憐憫にも似たものであった。
「まだ自分は僕たちとは違うと思ってるの?」
当たり前だ。
思わず声を荒げる。もう冬も近いというのに、僕の首筋には汗が伝っていた。
彼はこちらを一瞥した後、溜息を吐きながらやれやれと首を振る。
「愚かだねぇ。自分を信じて天才と疑わない者が落ちる様は、本当に見ていて飽きないよ」
狂ってやがる。僕の心は、彼に対しての憎悪で支配されていた。
何故僕がここまでの仕打ちを受けなければならない。こんなクズから蔑まれなければならない。
こちらの想いを気にも留めないかのように、彼は無造作に近付き、僕の目を覗き込む。
「その様子だと、まだ気づいてなさそうだね」
文字通り目と鼻の先にある彼の顔。くっきりとしたアーモンド型の眼には全てを見透かしているように深い黒が揺蕩っていた。
それにしても、気づいていないとは一体どういうことだ。
一歩距離を取った彼は、諦めに近いような表情を浮かべる。
「まさか、君がここまで愚かだったとは」
また僕を馬鹿にするつもりか。
彼の言葉がまた僕の逆鱗を掠めていく。
お前に僕の何が分かるというんだ。
「『お前に僕の何が分かる』」
僕の頭の中と一言一句違わぬ台詞を彼は言い放つ。
「君の考えていることは手に取るように分かるよ。」
雷に打たれたような衝撃とは、まさにこのことだろう。
心を読まれた衝撃で動けなくなっている僕に、彼は言う。
「君は才能の上に胡坐をかいて、努力なんてしてこなかったろう?」
当たり前だ。努力は凡人がすることだ。
僕は掠れた声で、何とか言葉を絞り出す。
僕の答えを聞いて、彼の顔からは表情が抜け落ちる。
「本当に君はつくづく愚かだな」
…何が言いたい?
「いいか?才能っていうのは、花なんだよ。咲いている内は綺麗で華やかだけど、努力っていう栄養を与えないと、直ぐに枯れてしまうんだ。」
…それ以上言うな。
「そして枯れた後は、何も残らない。栄養を与えなかったんだもん。実なんて出来るわけないよな」
やめろ、やめてくれ。
「君の花は、とっくの昔に枯れてるんだよ。」
「やめてくれぇぇぇぇぇ‼」
気づけば僕は、膝から崩れ落ちていた。
そんな僕の変化に対して、彼は僕の慟哭など些事に過ぎないとでも言うように、淡々と話を進める。
「君は、僕らに追いつかれたとでも思っているんだろうが、現実はそうじゃない」
彼は再び僕に近付き、膝を折った。
「君が、『堕ちて』きたんだ」
彼は、かつては気にも留めなかったはずの「凡人」は、僕の肩に手を置き、こう語り掛けた。
「ようこそ天才君。平凡の世界へ」
僕の耳には、晩秋の冷たい風が耳鳴りのように響いていた。
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