17.奏でる

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17.奏でる

咲苗の指は、その日から不思議と一時帰国する前よりは動くようになった。基礎練習の積み重ねが功を奏したのもあるだろうが、リラックスして肩の力を抜くのが上手くなったのかもしれない。試験曲も決まって、日々練習に励んでいた。 季節は秋へと移り変わる。ウィーンも日本のように四季を感じることができ、秋は短いので貴重な時間である。秋風に誘われながらオーケストラコンサートの会場へ向かう咲苗。試験曲で弾く協奏曲を有名なピアニストが演奏するということで、どうしても行きたいと予約開始の日に速攻で予約した楽しみにしていたコンサートだ。待ち合わせ時間より少し早めに着いた咲苗は、ワインレッドのスカートを整えて、近くのベンチに座っていた。 「さなー!お待たせ!」 そこへやって来た男女のカップル。ウィーンへ新婚旅行に来ているということで、一緒にコンサート鑑賞をしようとチケットを用意していた。 「絵美ちゃん、颯ちゃん、改めて入籍おめでとう!退院祝いしてくれたのに、私から入籍のお祝いができてなかったから、直接お祝いできて良かった」 プリザーブドフラワーのボックスには色とりどりのバラが咲いていて、ほんのりとアロマオイルのローズの上品な香りがする。絵美と颯汰は、満面の笑みでありがとうと言い、そのボックスを見つめた後、大事そうに紙袋へ入れた。 開演まであと少し。黄金に輝く大きなホールに目を輝かせながら席に着く3人。管弦楽団の人たちも音合わせをしてさまざまな音色が反射して聴こえる。開演すると、楽器の振動たちがお腹まで響き、身体全体で音楽を感じる。やはり生の音楽というのは迫力があって、音を包むハーモニーや立体感があって魅力的である。 後半の最初、咲苗が試験で弾く協奏曲のプログラムに入った。咲苗は、いよいよ来たと息を呑んでピアニストの登場を待つ。青緑色のドレスに身を包んだピアニストが登場し、深呼吸をして椅子に座る。 グリーグ作曲のピアノ協奏曲イ短調。この曲は第1楽章から第3楽章までの3曲で成り立っている。第1楽章は、憂いを帯びた旋律の歌い出しで、ドラマ的展開が聴き取れる。第2楽章は、グリーグが自分のことを「森の精霊トロル」と言っていたが、その象徴とも取れる調和的で美しい曲。第3楽章は、北欧ノルウェーの広い大空を勇ましい鳥が舞っているような舞曲風でかっこいい曲。ノルウェー的情緒が最もよくあらわれている曲と言われている。 秋深まるこの頃に聴くと癒される。なんとも言えない寂しさや虚しさを感じるこの季節に、森の精霊トロルたちがイチョウの葉っぱと舞って遊んでいるような感じがして好きな曲だ。 「さな、この曲を試験に弾くの?凄すぎるよ。さなのピアノ協奏曲も生で聴いてみたいなぁ」 キラキラとした尊敬の目で咲苗を見つめる絵美。こんな風に弾けたらいいんだけどねと苦笑いを浮かべ、ステージに再び目をやると、力強く上品な音色が心地良い。
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