17.奏でる

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大学の練習室に絵美と颯汰を案内する。 「結構広いんだね!すごい、私たち。今ウィーンの大学の中にいるよ」 興奮気味に練習室の中を歩く絵美。颯汰も目を輝かせていた。咲苗は照れ臭そうにピアノの椅子に座る。 グリーグ作曲のピアノ協奏曲をオーケストラ無しで聴いてもらうのは難しいので、ショパンのバラード1番を聴いてもらうことにした。10分近くもあるこの曲を聴いてもらおうと決めたのは、フィギュアスケートや『戦場のピアニスト』という映画でも出てくるほど有名な曲で、2人にとって聴きやすいのではないかと思ったからだ。 咲苗は最近、大学の友達以外にピアノを聴かせる機会はなかったので、1音目から緊張してしまった。肩の力を抜こうとしても、こわばってしまい、指にも力が入ろうとしている。一旦落ち着こうと目を閉じた。自分が奏でるピアノの音に集中しよう。 ショパンが詩人アダム・ミツキエヴィッチの詩を作曲のきっかけにした「リトアニアは、十字軍に敗れ独立を失い、王子は捕虜になった。十字軍の首領に息子として育てられ、勇敢な騎士となった。彼は策略を図る。リトアニアの独立を企て作戦は成功した。が、彼は裏切り者として十字軍から処刑されてしまう」という悲しい曲だ。 冒頭から物悲しい物語の始まりを連想させる。主題に入ると、咲苗はいつもの調子に戻り、変な力が入らず弾くことができた。絵美は咲苗の世界観に入る豹変ぶりに驚き、颯汰は興奮して、記録を残そうと動画を撮っていた。 だんだん不協和音的な音も混じって激しさを交えて強くなっていく。その後に最高音から滑り落ちて、またスケールで登っていって激しさは続く。最後はオクターブ同士が半音ずつ呼応し、主音から一緒に半音ずつ降りていき、決然たる音で締めくくる、というはずだった。 後半に激しいのが来るため、体力を温存しておかなければならない。練習の過程でだんだん自分の力加減が分かってきていたので、余力は残っていた。が、緊張からかその余力がうまく発揮できず、自分が満足できる激しさが表現できなかった。その悔しさを残したまま、最後のオクターブ同士の部分にたどり着き、そこに自分に対しての怒りをぶつけるしかなかった。最後の音を弾き終えた時には額にびっしりと汗が溜まっていた。 何とか弾き終えたという安堵感と、これではまだまだダメだという悔しさが入り混じった最後の音。それは絵美と颯汰は気付くはずもなく、弾き終えた咲苗の気迫に驚いて、一瞬止まるが、2人で顔を見合わせて立ち上がって拍手をした。
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