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※短編『雨音の石』の続きです※
私の名はフミ。ある日、私は住んでいた村で世界を破滅から救おうとしている聖人さんという男性と出会った。彼は不思議な道具を持ち歩きながら『滅の口』という場所を目指していた。私は、ひょんなことから彼と共に旅をすることになった。これは、そんなお話。
生まれ育ったエークから旅立った次の日、私と聖人さんは隣の町・ドーエにたどり着いた。エークよりもずっと大きな町であるドーエには、役場だけでなくこの地方一帯をまとめている教会があり、そこへ立ち寄る人や王都へ向かう人の為の宿もいくつかある。私も何度か来たことがあるし、ここの司祭様が結婚式や葬儀に立ち会う為にエークに来ることもあった。この界隈に住む人々には馴染みのある町だった。
「聖人さん、どこの宿屋に泊まります?」
以前母とこの町に来た時に宿屋に止まった私は、今回もそうするだろうと思って、商店街のある方へ向かおうとしたのだが、聖人さんに止められた。
「フミさん、残念だがそれは出来ない。私はお金を持っていない」
それを聞いた私は、一瞬、頭の中が真っ白になった。
「は?」
「贄の旅は、必ず誰かに助けられなければならないと決まっているのだ。そして、どの場所の者も贄を助けなければならないと決まっている。人々は成人の際の洗礼式でそれを教えられるのだ。大抵はその地域の役場や教会が助けてくれるのであるがな」
「……へぇ……じゃあ、どうするんですか……」
無一文であるという事実で不安いっぱいになった私の手を引いて、聖人さんは歩き出した。
「あそこが教会であろう?私も一応聖職者扱いらしいのでな。まずはそこを頼ろう」
教会のシンボルである横線で2つに割れた丸のオブジェがついた建物は、この町で一番大きな建物だった。ちゃんと頭が働きだした私といつも通りの聖人さんが扉を開けて中に入ると、そこでは葬儀が行われていた。祭壇の前には立派な棺桶が置かれており、その側で司祭様がなにか難しい言葉で話していた。それを椅子に座った百人ほどの喪服の人々が、神妙な顔で聞いていた。
「しばらく話しかけられそうにないですね」
「そうであるな。葬儀が落ち着くまで待たせていただくとするかの」
私達は、扉のすぐ近くの最後列の端の座席に座った。
「いっぱい人が来てるね」
大きな葬儀が珍しい私は、キョロキョロ見回した。エークでは葬儀は親族や友人などでこじんまりとするので、十数人ほどしか来ない。
「ほうほう。司祭の言う事には、故人は男性でこの町一番の商会の大旦那だったそうだ。多くの人々を雇い、多くの税を納め、この町に貢献した偉大なる者だと」
司祭は、足元に置いていた籠を手に持ち、中に入っていた花びらのような形の紙を棺の周りにまきだした。多くの色とりどりの紙で棺を飾った後、籠に残った紙を座席のほうにまきだした。
「聖人さん、あの紙なんですか?」
エークの村では葬儀にはあのような物は使わない。
「あれは、散華といって聖なる花びらを模した物だ。聖なる花は場を清め悪しき物を遠ざけると言われておる。ここの教会は、それを散布することで故人が天へ昇れるように供養する、と考える一派なのだろうな」
風が入ってきたのか、フワッと舞いがった散華という紙の数枚が、私たちのほうに落ちてきた。
「ふん、あいつが天へと昇るものかい」
扉の閉まる音と共に、しわがれた女性の声が後ろから聞こえてきた。私たちが振り向く前に近くの椅子にドカリと座った老いた女性は、喪服ではなく着古した普段着だった。
「この辺りで見かけないあんた達は知らないだろうけれどね。あいつはね、昔、妻だった私を娼館に売ったのさ」
女性は憎々しげにそう言うと、祭壇のほうを睨みつけていた。
「何も知らない若い私に絶対幸せにすると言った癖に、一年も経たずに売ったのさ。大きな事業をするために」
足元に落ちた一枚の散華を踏みにじりながら小さな鞄を抱えて歯をくいしばっている女性を、私は不思議に思いながら見ていた。
「なんで嫌いな人の葬儀になんか来たんですか?」
「確かめたかったのさ。私を踏みにじったアイツの葬儀がどんなものか。人数が少なかったり、嫌な奴しか来てなかったりしていたら、スッキリするだろ。実際は大勢の人間が悲しそうにシクシクしているのにさ。これでアイツが地獄に行かず天にまで昇っちまうのなら、苦汁をなめ続けた私は悲惨な人生で終わるだけになっちまう」
女性の目に浮かぶ涙を見た私が悲しくなっていると、何かを考えているようだった聖人さんは、頭の上にくっついていた散華を手に取った。
「ふむ。それなら女性、故人が地獄にいるかどうか確かめてみようではないか」
荷物を持ったまま、私達三人は、教会の裏にある井戸の側にやってきた。聖人さんは、大きな荷物の中から昨日の野営に使った教会のマークの入った鍋を取り出して、地面に置いた。
「私のいた場所では、成人した聖職者全員にこの鍋を渡される。この鍋には不思議な力が宿っていてな。この鍋に入れた水の中に葬儀に使われたものや遺品などを入れると、その故人がどのような地獄にいるか分かるのだ」
昨日豆のスープを作るのに使った鍋にそのような不気味な力があるとは信じたくない私は、井戸の水を汲んでいる聖人さんを睨んだ。
「そんな不気味な鍋で私に料理させたんですか?二人とも倒れたらどうするんですか?」
「フミさんの作ったおいしいスープで倒れる訳がない。この鍋は探し物を見つけるのにも使えるが、普段は何も起こさない」
水を入れ終わった聖人さんは、荷物の上に置いていた散華を手に取ると鍋の側にしゃがんだ。私もつられてしゃがむ。そんな私たちを見ていた女性は困惑した表情をしていた。
「あんた達、何者だい?荷物についているマークから教会関係だとは分かるけれど……」
鍋の中を除いていた私たちは、側に立つ女性を見上げた。
「私は滅の口に向かう贄である」
「贄って……まさか、あの」
「聖人さんは、世界を救う為に一文無しで旅をしているんだって。私は途中まで一緒に旅をしているだけなんですけど」
「……へぇ、あんたが言い伝えの救世主なんだね。だから不思議な力が使えるのかい……」
それを聞いた聖人さんは、首を横に振った。
「私に不思議な力はない。持たされた物に力があるだけである」
「そうかい。それでも、私にはできないことさ。これからどうなるんだい」
「この水にこの散華を入れると、冥府の裁きによってどのくらい酷い地獄に落とされるか分かるようになっている。裁きを知ることも、探し物を見つける事も、冥府の書物に記されているものを覗き見る事なのだと、私を育てた者達から聞いた」
「冥府の書物かい……」
そう呟きながら、女性も鍋の側にしゃがんだ。それを見た聖人さんは、散華を水の中に沈める。すると、水は徐々に赤黒く染まっていった。
「ご婦人。私の習った教えでは、死者が天に昇るかは分からないそうだ。だが……」
水はどんどん染まっていき、最後には底に沈めた散華などまったく見えない、なんとも言えないおぞましい黒色になった。
「地獄はある。世界に必要だと思った神のような何かが、魂を裁く冥府と罰する地獄を作ったそうだ。この色は、この散華で清められたはずの魂が、これからも生者に不幸をもたらすと判断されたという証だ。故人は地獄に落ちる。だからご婦人」
聖人さんは、女性の抱えた鞄をじっと見つめた。
「故人を傷つけようと努力しなくていい。死者は生者を傷つけられるが、生者は死者を傷つけられないのだから」
女性の手から、カシャリと音を立てて鞄は地面に落ちた。
「……そうかい」
鞄を気にせず、女性は鍋の中を覗きながら静かに泣いた。私と聖人さんは、女性をじっと見ていた。
夕日が落ちてきた。葬儀はとっくに終わったようで、墓場から帰ってきたであろう弔問客の声が聞こえてきた。長い時間泣いていた女性は目をグシグシとこすった後、鞄を拾って立ち上がった。
「さて、そろそろ帰らないとね。あんた達、一文無しなんだろ。今日はどうするんだい?」
「この教会で世話になろうと思っているのだが」
それを聞いた女性は、腫れた顔をしかめた。
「辞めときな。ここの教会の料理は目玉が飛び出るくらい不味いって有名だよ」
「うへぇ……」
私が心の底から嫌がった声を出したけれど、聖人さんは気にしたようではなかった。
「死ぬのでなければ構わないが」
「私は嫌ですっ!」
そんなに不味い料理を食べるのであれば、野営の方がいいとさえ思っている私の顔を見た女性はケタケタと笑った。
「なら、私の働いている店に来な。酒場兼宿屋なのでウルサイかもしれないけれど、食事はうまいよ。今日も仕込みを手伝っていたから、葬儀に遅れちまったのさ」
「いきなりでご迷惑をかけるのではな……」
「お世話になります。よろしくお願いします!」
断ろうとする聖人さんの口を押えた後、私は勢いよく立ち上がってお辞儀をした。女性は、今日初めて見た心からの笑顔になった。
これが、私と聖人さんが立ち寄ったドーエに着いた日の話。
次の日、別の事件に巻き込まれるのだけれど、それはまた別のお話。
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