ツバキ病

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 足早にアパートへ帰ると、私は黒崎さんの頭を抱えたまま、台所へ直行した。棚の中からラップを取り出し、適当な長さに引き出して千切る。  彼の首の根本――身体がついていたほう、千切れてしまっているところを、ラップで巻いて、それから輪ゴムで止めた。こういう時に、気の利いた素敵な工夫ができるようなセンスを持ち合わせていない自分を悔いた。  テレビの横には、小さなキャビネットがある。その上に散らかった化粧道具をどかし、黒崎さんの頭を置いた。隣に花があった方が映えるかと思ったが、仏壇のように見えたのでやめた。  朝起きて、仕事へ行って、帰って来て、また朝には仕事に行く。そんな生活ばかりの繰り返し。今まで刑務所と何ら変わりないと思っていたアパートの一室。  ところが、黒崎さんの頭がやってきたことで、その彩りは一変した。  私は部屋の隅に座って、黒崎さんを凝視した。と言っても、数秒で目を逸らしてしまう。そして思い起こされるのは、薬局での彼の様子。  推しが、最後の最後で私に助けを求めてきたのだ。俳優である彼が、脚本に乗せられた、不特定多数の人に向けて放った言葉ではなく、彼が考えた言葉を、私にだけ伝えてくれたのだ。しかし私がそれに気が付いたのは、彼が息を引き取る数秒前だった。  それまでの私の対応はどうだった? 彼の人生の幕引きを担ったのが、彼の家族でもなく、熱愛報道されていた女優でもなく、一方的なファンの私だった。それなのに、つっけんどんな対応をしていなかったか?  私は、そーっと黒崎さんの方へ視線を戻した。どこか遠くを見つめる虚ろな目、ぼんやりと(ひら)いた口。  あの目が、今まで様々な場面や役を見つめてきたのか。あの口で、様々な台詞を放ったのか。でもそんな彼が最後に見たのは私で、最後に言葉を放ったのは私だ。  胸の辺りがぞわぞわと逆立つのを感じていた。  今日まで、誰からも邪険にされていた私。そんな私を見て、声まで掛けてくれたのが、私が唯一、心から好いた人。  最早、黒崎さんに近づくことすらままならなくて、私はその日、ベッドから毛布だけ取って、部屋の隅で寝てしまった。毛布の間から見ることも出来ず、壁の方を見つめて横になった。落ち着かない胸のざわめきに身体を丸くし、抑え切れない笑みを口元に浮かべながら。
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