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恋の病
しかし「恋」にとって自らの身体がないということかと問われれば、それもまた正しくはなかった。
地平線上のどこにも、落ち主(と、こちらも便宜上そう呼ぶことにする)である沙奈の中にも実体を持たない彼は、しかし彼の意識、視点においては姿を確固としていた。
彼は改めて自分自身を見分してみる。そう、土地を見分する、というふうに通常用いられる「見分」という言葉がこの場合ぴったりだった。「恋」の身体は、つまりこの場所は、三百六十度見渡せど単なるだだっ広い空間である。
地表はだれかが歩くため踏みしめることが想定されていないのか、固体か液体かさえ判然としない。ふやふやとしていてこれはそう、豆腐とかマシュマロとかそれらの素材が近い。それでいて沙奈が墜落した部分は裂けも凹みもせず、彼女の身体を損傷なしに受け止めることに成功している。
これは反発係数e=0の完全非弾性衝突だな、と「恋」は呟く。この世の概念の辺境に位置する存在である彼は、人間に身近な食材に喩えるよりも、具体的形状を持たない乾いた数字を拠り所とする方が手馴れていた。
沙奈の落下地点を座標軸の原点として、前後左右、天頂方向に遮るものはない。彼女が落ちてきた局地からドーム様の半球がどこまでも続く。周囲には野次馬はおろか、主要人物であるはずの、沙奈を恋に突き落とした中年の上司さえ存在しない。
今この瞬間からそこは「恋」の独壇場であった。先ほどまでは落ち主・沙奈の取りうる様々な状態や属性が競合しあって棲み分けし、独自の生態系を繰り広げていた。
それがいまや沙奈の持ち得た安らぎ、誇り、空腹、焦り、疲弊、ほかのどんな概念も一律に締め出され、そうして「恋」だけが残った。
沙奈という器に恋は病のように感染し、概念から発生しうる感情さえ根絶やしにしていた。「恋」という概念あるいは状態は、喜怒哀楽という言葉で容易にまとめてしまえる感情とは大きく距離を取るらしかった。
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