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【どこへ帰る・その2】
話は、20年前の1975年8月10日頃であった…
この時、私は3歳9ヶ月くらいだったと思う。
時は、朝8時50分ごろだった。
場所は、信州穂高(安曇野市)にある『鐘の鳴る丘』の集会所の前にて…
3歳9ヶ月の私は、信州在住の某エッセイスト先生が主宰の子供キャンプに参加していたけど、敢え無くリタイアした。
全国各地からやって来た子供たちと仲よくできなかった…
飯ごう炊飯などのアウトドア全般ができなかった…
この日の朝、私は参加している子供たちとひどい大ゲンカを起こした。
某エッセイスト先生は、私に対して『お前なんかもうメンドウみれん…クマのエサになってしまえ!!』と怒鳴りつけた。
その後、私は置きざりにされた。
他の参加者の子供たちは、エッセイスト先生と一緒に出発した。
置き去りにされた私は、ビービービービービービービービー泣きながら白馬方面へ走って向かった。
ふざけるな!!
なにが規則正しい合宿生活だ!!
子どもキャンプなんかイヤや!!
時は、午前10時頃であった。
3歳9ヶ月の私は、となりの松川村にある大糸線の無人駅に着いた。
私は、駅の待合室のベンチに座ってぐすんぐすんと泣いていた。
そんな時であった。
無人駅の近くにある雑貨屋さんの店頭に置かれているラジオから信越放送ラジオで放送されている日曜日のリクエスト番組が聞こえた。
スピーカーから、五木ひろしさんの歌で『どこへ帰る』が聞こえた。
歌を聴いた私は、ワーワーと泣きまくった。
この日放送されたリクエスト曲は、号泣ソングばかりが流れていた。
この時、私は四国・波止浜の母子保護施設で暮らしていた時分を思い出した。
時は、1974年頃であった。
この時、2〜3歳だった私は、実母と別れたあと波止浜の母子施設に移った。
一日中部屋にこもりきりの暮らしを送っていたので、施設の行事ごとには全く参加しなかった。
とうぜんのごとく、親しい友人はひとりもいなかった。
そんな中で、唯一の楽しみと言えばラジオを聴くことであった。
その時、私がよく聴いていた番組は毎日正午に南海放送ラジオで放送されていた『想い出のリズム』であった。
大広間に置かれている四脚のステレオのスピーカーから番組のオープニング曲の蓄音機のメロディーが流れた…
それと同時に、30前の女性スタッフさんがテラスにいる私を呼んだ。
女性は、私の育てのマァマで韓国人のパク・ジナさん(以後、マァマと表記する)である。
「よーくん、『想い出のリズム』が始まったよ~マァマと一緒にお歌を聴こうね。」
マァマに呼ばれた私は、テラスから大広間に上がった。
そして私は、四脚のステレオの前に座っているマァマのひざの上に乗った。
マァマのひざの上に乗って一緒にラジオを聴く時間が私の唯一の安らぎであった。
『草原の輝き』『空に太陽がある限り』『情熱の嵐』『ブルドッグ』『旅の宿』『太陽がくれた季節』『学生街の喫茶店』『ドリフのズンドコ節』『いい湯だな』『自動車ショー歌』『函館の女(ひと)』『ありがとう』『ひと夏の経験』『私の青い鳥』『せんせい』『さらば涙と言おう』『木綿のハンカチーフ』『狙いうち』『ブルーシャトゥ』『ああ上野駅』『明日があるさ』『黄色いさくらんぼ』『お祭りマンボウ』『嵐を呼ぶ男』『買い物ブギ』『いつでも夢を』『学園広場』『高校三年生』『君だけを』…
楽しい歌が流れていた時は、マァマと一緒に歌を歌った…
『異国の丘』『長崎の鐘』『フランチェスカの鐘』『ちいさい秋みつけた』『精霊流し』『遠くへ行きたい』『忘れな草をあなたに』『小樽のひとよ』『ドナドナ』『おふくろさん』『終着駅』『折り鶴』『そして、神戸』『恋の街・札幌』『ふれあい』『赤い花白い花』…
号泣ソングが流れていた時は、ぐすんぐすんと泣いた。
「よーくん、よしよし…」
マァマは、ぐすんぐすんと泣いていた私をふくよかすぎる乳房にギュッと抱きしめてなぐさめた。
時は流れて…
1975年8月10日の午後12時頃であった。
ところ変わって、国鉄松川駅の待合室にて…
ベンチに座ってぐすんぐすんと泣いていた私は、右のくつを脱いだあと靴しきをめくった。
靴底に、信濃大町駅のコインロッカーのカギが入っていた。
私は、子供キャンプをほかして旅に出ると訣意した。
時は、午後2時過ぎであった。
ところ変わって、国鉄信濃大町駅の待合室にて…
(カチャ…)
3歳9ヶ月の私は、コインロッカーの解錠して扉をあけた。
その後、ロッカーに保管されていた白のショルダーバッグを取り出した。
ショルダーバッグを取り出したあと、一緒に保管されていた大きめのふうとうを取り出した。
大きめのふうとうの中には、郵便貯金(ゆうちょ銀行)の通帳と印鑑と財布が入っていた。
郵便貯金の口座には、5000万円が振り込まれていた。
ショルダーバッグの中には、ソニーのFM・AMの携帯ラジオと関西以西のNHKラジオ第一放送と民放ラジオの放送局の詳細の周波数が記載されている小さなノートが一緒に入っていた。
3歳9ヶ月の私は、ショルダーバッグに入っていた手紙を読んだ。
よーくん…
悲しい思いをさせてごめんね…
おうちのカギは、あけているから大丈夫よ。
ママの極爆乳に帰ってきてね…
ママは…
生まれたままの姿で、よーくんが帰って来る日を待っています。
帰ろう…
今すぐに…
ママのふくよか過ぎる乳房へ…
帰ろう…
だけど…
ママが暮らしている場所が分からない…
それでも…
ママの極爆乳へ…
帰ろう…
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