ブルーバード

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「そういえば、凛太郎。あなた、さっき右京さんを『沢渡専務』って呼んでいたけど……」  美智留の言う通り、凛太郎と右京は直接雇用関係はないはずである。それに、凛太郎は右京に対し「打ち合わせ」という言葉を使っていた。その言葉の意味を美智留が尋ねる。 「美智留さん、私は、沢渡専務から直々に採用をいただきました。ブラオアーフォーゲルの洋菓子職人として。まだ見習いなので、洗い物や掃除、専務の付き人から始めてますけどね」凛太郎が恥ずかしそうに告げた。  右京が五百万円の入った封筒を美智留と凛太郎に差し出した。 「専務の命令は絶対だ。この小説は私が買い取る。君も変わらず我が社で励んでくれ。君は仕事は遅いが、丁寧な仕事ぶりは周りも高く評価している」淡々と告げるが、その表情は柔らかく穏やかだった。  震える手で凛太郎が受け取り、美智留に渡す。美智留の手も震えており、落としそうになったが、凛太郎が腕を添えるようにして美智留を支えた。 「沢渡専務……本当にありがとうございます」凛太郎が腰から上半身を折る。涙が絨毯に一雫弾けた。 「さぁ、他に用事がないなら早くどこかへ行ってくれないか。破談後の処理で私は忙しいんでね」右京は二人の顔を見ずに冷たく言い放った。もう二人に用は無いと言わんばかりに。 「右京さん、私からも本当にありがとうございます」美智留が涙を指で拭い礼を告げる。二人に背を向けた右京はもうその言葉には答えなかった。 「行きましょう、美智留さん」 「ええ」凛太郎が美智留の手を取る。子供の頃からの宝物を扱うように優しく。二人の足音が徐々に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。足音がすっかり消えた頃、右京は力を無くすように椅子に腰掛けた。目の前には大きな窓があり、窓の向こうには澄んだ蒼空が広がっている。その空を悠々と鳥が羽ばたいていた。
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